共に在る

おはようございます。

今日から一泊二日で第25回「日本一の会・富士登山」。誠澄が先達昨年は大雨でしたが世界遺産になった今年はきっと好天に恵まれ感動のご来光ではないでしょうか?。ご参加の皆さんゆっくりと頂上を目指して下さい、いろいろな体験と今まで味わったことのない自身の心を味わってください。心の襞を深めれば、これからの人生の地力と為します。
無理をせずに、しかしちょっとだけ無理をしてご自身にチャレンジして登って下さい。無事の下山をお祈りしております。
「共に在る」。
今年は誠澄を含め20名の男女、13才から私と同年までの皆さんが登山。下山後の温泉、そして冷えたビールは堪えられない味でしょう。辛さが吹っ飛びます。私も思い出しただけで生唾が湧きます。辛かったからこその味わい深い思い出、あんなことが、こんな思いが、と。
富士登山を始めたのが私が41才の時。「日本一になるため日本一の山に登ろう」という旗印、合い言葉の本に「日本一の会」と名づけました。頂点を極めるためには地図にない、教えの中に無い「辛抱を味わうことが大事」という思いです。
知識は「外から得ても」、辛抱という世界は「自分の中に求めるしかない」のです。「心の引き出しは一つ」ということを先日書きました。そのことを体得して欲しいと願ってのことです。親として、上司として、先輩としていろいろな知識や情報を与え、サポート出来たとしても、「辛抱だけは自分持ち」です。
心身で感じる辛苦をどのような「意識で向かい合うのか」の実践、事上磨練。知識、技術を生かすには時には筆舌に尽くせないような辛苦を味わい、そして「心胆を練り上げることも必要」です。
登るまでは互いに「頑張って登りましょう」と掛け合う声も元気がありますが、次第次第に「疲れ果てて、人のことなどにはかまってはおられない状態になってきます」。そしていつしか忘我の状態となります。そのとき「共に在る存在に感謝できる素晴らしさに目覚める」のです。
言葉はなけれども「黙々と登っている、共に目指している人の存在に気づかされるのです」。この気づきが得られたとき、日常生活の中で様々な試練が生じたとしても「富士登山の体感が蘇り」外の試練に気が惑わされることなく、自分を見失うことが無くなるのです。
そして周囲の人も「人に言えないような辛苦を忍んでいるのだ」という気づきが生まれ、人様へのサポートに率先できるようにもなるのです。共に在ることに感謝致しましょう。
明晩は「にんげん学」神戸講座「論語を読む」第2回です。「本を務める話し」。人生為すべき根本に務めれば繁栄の道を歩みます。繁栄とは物質的なことをいうのではなく、迷いのない安定した人生です。神戸地区の皆さんお会いすることを楽しみに出かけます。皆様にとり今日も良い出会いの一日となりますよう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
昨日の夕景。