いっぱい

おはようございます。

昨日余り暑くならない中にと墓の掃除に信者のSさんと一緒に行ってきました。Sさん助かりました、ありがとうございます。一人ではなかなかですが、お手伝いいただいたお陰で、あとは28日午前中にしっかりとして31日の先代の祥月命日を迎えられます。関門海峡が目の前に見える霊園、小一時間草取りをして護摩とは又違った汗をかいてきました。将来の我が家、感謝して汗を流しました。
今夜は「にんげん学」小倉講座、九州地区の皆さん是非ご出席下さい。六箇所で「にんげん学」を行っていますが、人情としてやはり一人でも多くの方にご出席いただけば嬉しい事は言うまでもありません、皆さん会場でお待ちしています。
昨日も頑固はいけません、ということを書きました。多くの人が幸せを願いながらも、思い通りにならないと感じているのはなぜでしょうか、やはり頑固が一つの原因です。
「いっぱい」。
学んでいる人は素直に非を認め修正します。「知るを知る、知らずを知らず」と確かに知るからです。ですから頑固にならない。現状を認めなければ何も始まらないのです。
学んでいながらちっとも変わらない、良くならないと考えている人がありますが、それは「コップの中(頭の中、意識の中)に水がいっぱい入っていることを知らず、またそこに水を注いでいるような状態で学んでいる」のです。
学ぶとは「まねぶ」ことですから。実践が前提。ところが学ぶことを「知識とすること、頭の中に記憶すること」と勘違いしている人が多いのです。ですから行動がありませんので、現状はちっとも変わらないのです。
老子はこのような例えを言っています「愚(おろ)か者のやること」として。
満杯状態(まんぱいじようたい)のコップにいくら水を注(そそ)いでも、
こぼれるばかりだ。
これは愚(おろ)か者のやること。
新しい水が欲(ほ)しいなら、一度、捨(す)ててしまわないと。
自分の考えを持つと云う事を間違えないことです。自分の考えを持つということは、「姿勢を大事にする」ことです。知識にこだわることではありません。
学べば頑固さが消え、あなたの能力に冴えがでてくるのです。見事な切れ味の包丁は、名人であればあるほど日々磨きをかけます。学ばないことは磨きをかけていないことです。それは一度磨いたきりで切れ味の鈍ったことを知りながら、相手云々をする愚か者のすることです。今夜は「にんげん学」小倉講座ご一緒に精神に磨きをかけましょう、会場でお待ちしております。今日も磨きをかけ充実した一日を過ごしましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
昨夜Sさん差し入れ「ふく刺し」です、それと「生ウニ」ごちそうさまでした。