功名と恩恵

おはようございます。

今日は愛宕寺開山・前住職の祥月命日。不思議な仏縁と言いますか、心華寺開山の命日も今月、何か共時性も感じます。日々の先祖供養の大事はいうまでもありません、とりわけ祥月命日は丁重に勤めなければなりません。ご先祖は今日私たちが在る原点、人としての勤めの原点。ご先祖に感謝出来るようであれば、ゆとりある人生を送れるようになります。それはこれからの未来へのお手本であるからです。良いことは真似て、悪いことは気をつけるべき戒めと出来るのです。
また原点であるご先祖様に無心にお仕えしますと、社会に於いても必然的に為すべき役割、使命、場が得られ、自然に無理のない繁栄があります。何故かといいますと、何の功も無しに与えられたことを感謝する行動が先祖供養だからです。無償の行動が出来れば何の停滞もなく無限の可能性の扉が開かれるのです。ご先祖様にお仕えすることは理屈ではなく、子孫としての当然の義務でもあります。義務を怠らない人間性を養うことにもなり、心が安定すれば物事の判断基準ができるのです。
「真実の功名・真実の恩恵」。
先日お墓の掃除に行ってきました。愛宕寺開山である前住職は墓地を作る前に遷化しました。私が住職に就任し3年ほどしてお墓を建立。前住職がご存命中蓄えておられたものがあり、愛宕寺のための貯蓄ですから、先ずご開山ご夫妻の聖地をと思い立ちました。
聖地はこれから先愛宕寺が代々続くための基礎、いの一番にやらなければとの思いです。先祖が大事と言っても、これは何事でも言えることですが、「形、行動が無ければ大事にしているとは言えず、大事にすることもできません。」。
菜根譚前集、28条に「世に処(お)りては、必ずしも功を邀(もと)めざれ。過無(あやまちな)きは便(すなわ)ち是れ功なり。人に与えては、徳に感ずることを求めざれ。怨無(うらみな)きは便(すなわ)ち是れ徳なり。」。
意は「人間が現実の社会で生きていく時には、必ずしも功名を期待してはいけない。大きな過ちが無く過ごすことができれば、それがそのままとりもなおさず功名である。
また、他人に対して恩恵を施す時には、その恩恵に感謝されることを求めてはいけない。他人に怨まれるようなことをしなかったならば、それがそのまま恩恵である。」。
この通りだと思いませんか、教えに忠実に歩むことそのものが功名であり、親に孝養を尽くすそのものが功名です。誠意を以て事に対すれば、そのまま恩恵を受けているのです。功名心や恩恵の心を外の世界に奪われることがなければ自由でイキイキと楽しく日々を過ごせるのです。
功名や恩恵はもうすでにこの世に生を受け誕生して直ぐに与えられていることに気づきましょう。
自分の行っていることの評価云々でびくつき、心ここにあらずの虚しい人生を送るような事をせず、日々淡々と目の前の仕事を楽しく過ごすことがすでに功名であり、人の為にやっているのだなどと思うことも己の価値を下げる愚劣な思いであることも知るべきです。
今月のご愛読ありがとうございます。祈り、各行事、勉強会へご参加感謝いたします。明日8月1日は「にんげん学」一宮講座、明後日は東京講座、8月も学びからスタート。共に「論語を読む」です。7月最終日の今日も楽しくお過ごしください、そして笑顔で終えることができますようお祈り致します。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。 合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
本州と九州を結ぶ在来線の関門トンネルの出入口、珍しいのでパチ。人生も必ず関門があり、トンネルにも遭遇します、人生のトンネルには分からない間に入りこみますが、必ず出入口はあります。