知識と思考

おはようございます。

「にんげん学」東京講座ご出席の皆さんありがとうございます。30分早い時間から始めましたがしっかりとお集まりいただき感謝致します。
お一人のTさんのお祝いと、もうお一人のTさんの送別会で30分早めました。ご理解いただきありがとうございます。共感共鳴はいいものです。押しつけでは長いお付き合いはできません、来月もお会いしましょう。お大事にお過ごし下さい。
「知識力と思考力」。
私はあるとき、知識力も思考力もないことを知りました。だから人嫌いになった、人が嫌いだった、しかしある時希望を持つようになりました。それが「奇跡の人」という「ヘレン・ケラー物語」の映画を観てのことです。
ここで「従う凄さを知った」のです。これが「習う」の初めでした。知識があっても「力としなければ発揮できません」し、知識力と為すことが出来るのが「思考力」であると孔子は教えてくれたのです。「知識力と思考力」の二つを両輪として世の中に活かされていくようになるのだと考えます。
ということを知ったとしてもさてどうするのということが肝心です。物事の正しい「判断の力」がなければ役立てることはできません。
論語為政第2、15条に「学んで思わざれば則ち罔(くら)し。思うて学ばざれば則ち殆(あや)うし」。意は「知識をいくら詰め込んでも、自分で考える力がないとだめだな。自分の頭だけで考えていればいいかというと、そうでもない。外からの知識も取り入れないと、独断に陥ってしまうからね」。
こうなってしまうでしょう、孔子の教えは、知識は以外と簡単に知識とできるよ、だが、その知識を活かし判断するとなると、難しいものだぞと言っています。だから高い知識があっても悶悶とする人が出るのです。
難しいのは、自分で考えること、すなわち思考力をどうやって身につけ養うかです。その答えを孔子は「温故知新(おんこちしん)」為政第2、11条という語で教えています。
意は「古典や古い学説を学び、そこに現代的な解釈をつけ加えてみるといいよ。そうすれば行動の指針になるからね」ということです。孔子は、「先人への共感と追体験の中に、学問の大きなポイントがある」と考えたのです。真の創造性とは、無から有を生み出すことかもしれませんが、凡人の私にはそれは到底無理な話です。一から十まで自分で考えろと言われても私にはとてもとてもできません。
でも、過去に誰かが言っていることをもとにして自分なりにアレンジする、というのだったら、できそうな気がしてきます。物事を考察する時は、まず、「すでに評価が定まっているなんらかの価値にひっかけ考えてみよ」、と孔子は教えたのです、それが「温故」。そして、「その上に新たに自分流の解釈をつけ加えてみる」、これが「知新」です。
私はこのようなやり方で自分を磨き高め、更に知ることを大事にし、考えることを体を通して行うようにして力を養ってきました。そして少しはそれを信じて学び力として活躍する場をいただいているのです。この二日間の「にんげん学の場」を与えられたことも一つの証明ではと考えています。
明日は第一日曜、心華寺の法要、午前10時からです。今回はお護摩はありませんが「幸福開運祈願は行います」。その後「先祖・水子・物故者。盆施餓鬼法要」を修します。どうぞ祈願ご回向をご一緒ください。今日も素晴らしい一日となりますことをお祈り致します。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。      合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
巣鴨にあります「スクアール・ビストロ」さんでのお誕生会と送別会です。

田舎風テリーヌ

赤貝とシャンピニオンのソテー、プロバンス

夏野菜のデップ

米ナスとトマトのモッツァレラトーズ巻

鰯のマリネ

長尾鯛とホタテ貝のポワレ・ブールブランソース

豚バラ肉のやわらかグリエ・ジャポネーズソース

トマトの冷製パスタ

デザート

皆さんありがとうございます。ビストロのマスターごちそうさまでした。