愛は

おはようございます。

心華寺「月例・幸福開運祈願祭」並びに「先祖、水子、物故者・盆施餓鬼法要」おまいりありがとうございます。ご先祖様を思う皆様の厚い気持ちに暑さを忘れ気持ちの良いお勤めでした、ありがとうございます。
全国の皆様からお申し込みいただきました「施餓鬼供養」確かにお勤めさせていただきました。ご安心ください、参列者の皆様にご焼香いただきました。
心とは正直なもので、心の中での強い思い、厚い思いを優先させます。ですからその人の行動を観ておりますと、その人の「心のありよう」が見えてくるものです。人を観るモノサシの一つとしても大切な人物鑑定の基準ではないでしょうか。
「愛は強い」。
先日「にんげん学」東京講座で勉強しました論語、衞霊公第15、35条「子曰く、民の仁に於けるや、水火よりも甚(はなは)だし。水火は吾れ踏(ふ)みて死する者を見る。未だ仁を踏みて死する者を見ざるなり。」。
意は「民にとって、仁愛は水や火よりも大切で喜びのあるものなんだよ。水に誤って踏み込めば溺死(できし)するし、火に誤って踏み込めば焼死するだろう?だけど仁愛というものにどれだけ踏み入っても絶対に人は死ぬ事はないんだよ。」。
日常生活で、水や火は欠かせないものです。しかし、人を思いやり、愛する心が大切なのだと強調するために、あえて孔子は日常生活に必要な水や火と対比させたのではないでしょうか。孔子の表現は少々こじつけのようにも感じられないことはありませんが、言いたい気持ち、仁道を説く情熱は感じます。「水や火にはまり込んで死ぬ人は見たことはあるけれど、仁愛にはまり込んで死んだ人なんか見たことない」、この言い方、いかがです。
仁愛に溢(あふ)れ、仁愛を以て人がつながり合う、守られる社会というものが、孔子の思い描いた理想の社会だったのでしょう。そのためには、いつと限定する事なく、仁愛はいつでも実践するべきもので、どれだけあってもこれでよいという事はないのです。また人を愛するという事は究極の思いやりではないでしょうか。
明日は「にんげん学」大阪講座「老子を読む」です、老子は自然体で愛しなさいと諭しています。大阪地区の皆さんお暑いですが会場でお待ちしております。今日は一週間のスタート、思いやりの一日、一週間を過ごしましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。      合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
今朝の東の空、夜明けを感じ、皆様の何かが明けるのではとの思いがして撮ってみました。