否定と肯定

おはようございます。

愛宕寺「先祖・水子・物故者・盆施餓鬼法要」お暑い中のおまいりありがとうございます。88才の方にお暑いですから大切にして下さいとご挨拶をいただき何か感動しました。皆様もどうぞお大事下さい。
今朝は心華寺、皆さんにお電話をいただき今どちらですか?とよく聞かれます。どうも行方定めぬ旅ガラスのように思われているような気もしないわけではありません、しかし実際先日も出かけるとき最寄りの駅に横田さんに送って貰い、何か落ち着きのない私ですね〜などと話ししながら出かけました。
格好良く言えば「行雲流水(空を行く雲と流れる水。物事に執着せず、淡々として自然の成り行きに任せて行動)」ですかね、そう在りたいとは願っています。我欲に執着すれば翻弄される人生となるかも知れませんしね、徒然に楽しんで流されないようにして歩んでいます。
写真を撮るようになって一層世間、人を観察することが好きになり、よく見るようにもなりました。東に西に、食べ物も味も気風も違います。その違いを味わうのがこれまた楽しい、郷に入りては郷に従え、いろいろな会社やご家庭に寄せていただいても同じ事がいえます。十人十色は楽しいですね。そう考えますと余裕が出ます、違っていい、これも遊び心。
否定と肯定」。
人間は否定されることは良い気持ちはしません、が肯定ばかりされたのではこれまた人間的強さ、行儀良さ、生長はありません。先日も現実逃避という事を書きました。私は肯定されなかったからこそある意味で強さが確立されたことは間違いがありませんし、事実です。
困った事態を招く人の傾向を見ていますと「自由が見え隠れしています」。何でも「思いのままにして困った事態、不自由を招いてしまう」のです。
自由な意志を私たちは与えられています。であるならば、「どのような生き様が良いのか」の選択肢も自由であるのです。そこに「学の重要性がある」のです。それこそ「感性の世界・感覚の世界」。
私たちの「魂は自由」、自由だからこそ「自覚した束縛が大事」。でなければ肯定しか選択しなくなり、自覚しない「束縛が生じる・不自由が生じる」ことになるのです。
魂は自由、しかし自由なはずの魂を自ら肯定を望み、「束縛を生む」ような愚を犯してはならないのです。
自由だからこそ「自覚した束縛、道理に従う自由に目覚めること」です。何でも手に入れようとする自由は自分の意志で自由に選択しているのではありません。一見自由に見える、感じているだけで、その証拠に「数分後か、数日後か、数年後」には必ず「苦が到来する」のです。
法に則る自覚した束縛は常に魂の自由の世界に遊ぶことが出来ます。何故ならば我欲での選択はしないからです。与えられた世界を味わうからです。
お山で修業時代、師の信者さんがお菓子やケーキを私たち弟子に供養してくださいました。時に自分で選んだ菓子の多くが自分の口に合いませんでした。以来選んでもらった物を頂戴することにしましたところ、美味しいのなんの。人生の選択とケーキの選択は全く違いますが、意識としては同じなのではと考えています。
滅多に人様は悪い物を選択してはくれないのです。自分の意志で選ぶのは何かを得るためではなく、「どう生きるべきかの先人の生き様を学び習うことを選ぶこと」をそれ以来しています。
今日は第二日曜、心華寺「水子供養祭」。午前10より行います。お盆ですので是非「あなたしか知らない存在の水子さま」にご焼香ください。今日も良い選択をして楽しくお過ごしください。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。      合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
※8月16日、京都五山送り火「大文字を拝む夕食会」を開催します。参加人数に若干余裕がありますのでご希望の方はお申し込み下さい。場所は:清水・京料理「日月庵」です。美味しい京料理をいただき、心静かにご先祖を送りましょう。四つの送り火を拝むことが出来ます。このような場所は他にはありません。ご参加をお待ちしております。
お申し込み:心に華を咲かそう会。0774(44)5380です。会費一名:10,500円(飲み物は各自負担)。