行動を省みる

おはようございます。

ブログを毎日こうやって書いている私ですが、だからといってくそ真面目な人間ではありません。とは言え不真面目でもなく、真面目に生きようとしている人間です。だいたい40才まで笑うことなく生きてきた人間、かといってバカ真面目ではなかったとも思っています。
真面目だったのは「法に対する姿勢、師に対する態度」、自分で思っているだけですけどね。これだけは真摯に立ち向かおうと考えていました。今日は久しぶりに夕方お山に師を訪ね夏のご挨拶にお伺いしてきます。
「行動を省みる」。
師を訪ねようと思い立った理由の一つは最近「己自身の心の狭さを感じている」ことがあります。師匠の前に出て修業時代の自身を思い出し、喝を入れていただこうとの思い。学んでいる人間、修行している人間にとって大切なことは「何事につけても己を省みる」ことだと思っています。
最近、人様の「やることなすことが自分の意に沿わないとの思いを強くしている」からです。このような意識を持つことは「もともと自分に受け入れる度量がなかったから」だと反省するのです。いつからこのような「傲慢な人間になったのだろう」と、師の前で「懺悔」して「修行のし直し」をしたいとの思いです。
自分のやることなすことを人様が「受け入れてくれない」と思うのも、もともと「自分に相手に納得させるだけの誠意がなかったのだと」も思い直しています。
半年ぶりに師とお会いして懺悔し、傲慢な鼻を折っていただき、修正するところを的確に指摘していただき、暑さ以上の熱意で修練し直しをしようと思っています。情けないことです、
「われら衆生無始(もろびとむかし)より 貪(むさぼ)り瞋(いか)り痴(おろか)にも 
造(つく)れる罪業(つみ)の数知(かずし)れず 身(からだ)、語(ことば)と意(こころ)もて
 誤(あやま)ち犯(おか)せる所なり 今無上尊(いまみほとけ)の前にして
残らず一切懺悔(すべてさんげ)しつ 
乞(こ)い願わくは一切諸仏(ほとけたち) 已(すで)に造(つく)れる罪障(つみ)は消滅(け)し 自他衆生(われらもろびと)ことごとく 清浄(きよ)き仏道(みち)にそ精進(いそし)まん 
従今(これより)以往(のち)は大慈悲の 護念(まもり)の業(わざ)を仰(あお)がなん 更(さら)に防遮(すくい)を垂(た)れたまえ」
と毎朝夕にお唱えしていることが恥ずかしい。研鑽修行を積むということは、まずは「自分の行動を振り返ることから始める」ことだと教えられました。それももう一度ピシッと叩き込んでもらいます。「自分を客観的に見つめる、習慣を身につけ」、その上「常識に照らし合わせて自分の行動を評価する」ことが大事だとも教えられました。
今日は一日更にヒートアップしそうな予感がします。新たな週の始まり、お盆で帰省されておられる方もいるでしょう。心静かに反省し、豊かな週を送りましょう。先ず私からですね。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。      合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
昨夕久しぶりに夕日を撮ってみました。