沈静の心

おはようございます。

人生を歩む上に於いて大切なものの一つはやはり「師友(しゆう)」です。「師と友」、師は道を示して下さり、正してくださいます、友は切磋琢磨できます。支えられ、励まされ、礼儀(互いの立場を尊重)を持ってお付き合いが出来、その上尽くしたいと思えるのが嬉しいことです。師友はかけがえがありません。人生は師友によって高められます。
52才からゴルフを教えてもらい今楽しくてしかたありません。しかし52才から始めて良かったと思っています。何故かと言いますと若い頃に始めていたら溺れていたのではないかと考えるからです。感覚的な喜びの味わいはゴルフで始めて味わった喜びです。
「沈静の心を」。
師にいろいろな教えをいただきました。基本は「心身の統一瞑想」。落ちついて物事を進めることを教わりました。でなければ「正しい自我の確立は無理だぞ」と教えられたのです。
呂新吾の「呻吟語」に「沈静なるは最もこれ美質なり。蓋(けだ)し心存して放たれざる者なり。今の人は独(ひと)り居て事なければ、すでに自ら岑寂(しんせき)にして堪(た)え難く、纔(わずか)に事に応じ人に接すれば、便(すなわ)ち口に任せ情を恣(ほしいまま)にす。即(も)しこれ清狂(せいきよう)なるも、また徳を蓄(たくわ)うるの器(うつわ)に非(あら)ざるなり。」
意は「落ち着きはらって穏やかであることが、君子の資質である。そういう人は、心が浮つかず、自我が確立されている。
ところが、小人はひとりのときの過ごし方を知らず、寂しさに耐えられなくなる。その一方で、人に会えば日頃思うところを口に任せてほとばしらせる。
これでは、どんなに心が清く高い志をもっていても、人徳は備わらない。」。
人生は内(心)と外(感覚)のバランスを保つことが大事です。バランスを保つために常に心を平静に保つことを心がけるべきです。でなければどんなに心の中に崇高な思いを持っていたとしても徳を高め養うことが出来ず、結局は流されてしまい、切磋琢磨する友は得られないのです。
師友に良い刺激を受けたならば静かに家に在るとき心を練り上げる時を過ごさねば徳を具えることは出来ません。ただ単に口に任せ話す喜びに終始して心を失う愚を犯すのは、一人静かに常の心の平静さを保つ鍛錬の繰り返しがないことに原因はあるのです。また己を高める喜びに目覚めていないのです。
自身を高めることを確かにする意識が切磋琢磨する師友と出会い、日々目の当たりに出来るのです。今日も素晴らしい人に出会えますよう精進しましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。      合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
酔眼のためか半月がきれいに見えました。