目指すこと

おはようございます。

毎日己の未熟さを感じています。孔子が「六十耳順(ろくじゅうじじゅん)」と言いました。この意味が喜びの心を表す言葉であったのではなかろうかということを最近感じています。
恥ずかしい話しなのかもしれませんが、この年になって知らないことを知るという喜びを感じているからです。若い時は「知るを知ると為し、知らずを知らずと為す」という孔子の言葉を知っていたとしても、知らないことがあったとしても、知ったかぶりをして、避けて通り、知らないことを知る喜びに変えることができなかったからです。
ところが最近、素直に新しい事、知らない事を知る喜びを感じています。そして行動することを。知らないことを聞いても、耳に逆らうことがなく、そうか、そうかこんなこともあるのか、こんな考え方もあるのかと「耳順(みみしたが)う」のです。
年令を重ね頑固にだけはなりたくないと考えていましたが、少しは頑固になることを先延ばしにしているのかなと、一人ごちています。「箴言耳(しんげんみみ)に痛し」という言葉、嫌なことと思うことが少なくなっています。針を打てば身体の健康になるように、箴言を耳にして心が健康になる喜びを感じています。
「目指すこと」。
孔子は「吾十有五にして学に志し」と一生を学問に志し、修己(己を修める)を生涯としました。そして「六十にして耳順(みみしたが)う」と。この語を読み本当に今までいかに修己を疎かにして、人様の意見、言葉を疎かにしていたのかを反省しています。疎かにして争い、否定し、折角の縁を縁とせず、糧ともせず、時間を費やしてきたのかと。しかし、これまでの時間は私が気づくまで必要であったのであろうとも思ってもいます。
これから先も耳にする言葉は人様は私に必要だからこそおっしゃってくださるのだと、胆に銘じています。温故知新ですね、教えはありがたい。皆さん老婆心ですが学びましょう。耳順に気づき使命に目指すことを又新たに確信できました。皆さん今日も学び素晴らしい一日としましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。      合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
お月様と雲に夕日が当たり何ともいえずにパチリ。


雲に感動。