決める

おはようございます。

幸福感はいろいろな形、価値観があって当たり前ですよね皆さん。意識ではこのように思いますが、自分の人生は幸せだと感じていますか皆さん、是非そう思うべきです。僕は幸せだなぁ〜って加山雄三も歌ってます、今の人は知りませんかね、このような歌は。幸せだなぁ〜と思えない人は幸せは逃げていきますよ、ご用心ください。
昨日も書きましたが「ピンチの後はチャンスが来る」からです。陰陽は表裏一体、これで「一対」なのです。花が咲けば散り、散れば又咲くのです。ですから散ったときキチンと手入れをして修練をし直さなければ再び咲くことは出来ないのです。
新たな幸せが来ることを思えば楽しい人生となるのです。なぜなら「思える自分が楽しいのです」。凄く単純な思考法でしょう皆さん。私はある時からずっとこのような思いで歩んで来ました。空想の世界を遊び、学んだのです。そうしましたら現実となり「楽しい人生の道連れの方々が多くできた」のです。ジコチュウです。
「決める」。
先日愛宕寺に入る時私が乗りました車中は一人。ずっと以前小学から中学2年生まで感じていた孤独感を思い出しました。しかしある時から「思うこと空想の世界に生きることを知った」のです。それからの人生は順風満帆とはいいませんが、素晴らしい人様との楽しい出会い道連れができました。
成績は最下位、運動能力はほとんどゼロ、男性にももてず、もちろん女性にももてず、何も勝るものは無し、最悪です。母親に無理を言う我が侭な「内弁慶」、僻み根性満杯の嫌な少年、だからといって不良になる勇気も無し、今思い出してもいただけません。
あることがきっかけとなり、「こう生きよう、こう生きたいと決めた」のです。「受け入れて学ぶ」ことです。受け入れたからといって途端に成績が良くなるわけはありませんし、運動能力も増すわけではありません、しかし以前のように「クサクサするイライラする感情が少なくなった」のです。先生や親の「言葉を受け入れ」自分を高めました。
そして「祈る世界と出会った」のです。祈るとは「修練すること」です。神頼み、仏頼みをするのではありません。「自分のペースでいいのだ、一隅を照らす」と説き示してくれた比叡山開祖の伝教大師の言葉にであったのです。
それ以降全ての「心学」は自分を高めることが幸せなのだということを言葉を換えて説いていることに気づいたのです。違って当たり前と自身が確信し、昨日Tさんのコメントにもありましたように「人に知られないことを患(うれ)うのではなく、人を知らないことを患(うれ)う」ということです、全くこの通りです。
明日は愛宕寺「月例祭」です。祈り修練する誓いを新たにする日。「大数珠繰り」もします。大きいお数珠を皆さんと共に回し罪障消滅を祈り、ご家族や大切な人、周囲の方々の幸せを祈る日です。午前10時からです。
今日も素晴らしい心を持って楽しく一日を過ごしましょう。良いことが沢山ありますように。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。      合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
私しか乗っていない新幹線の車内、専用車両でした。

小倉、博多間を走っているスーパーソニック、マークがスーパーマンのに似ています?よね。