自分の心を

おはようございます。

「にんげん学」小倉講座ご出席の皆さんありがとうございます。先日の豪雨以来少し涼しさを感じるようになりましたがまだまだ厳しい残暑です、お大事にお過ごしください。
昨日学びました「聖人の徳、道」難しいですが、しかし修練すべきです。外に惹かれる心身を柔軟にして「しなやかに己を見失うことなく」対応をできるようになるためにも修練したいですね、また来月お会いできますことを楽しみにしています。
何事にでも言えることです。単純な鍛錬を続ける根気が地力をつけます。多くの人が事を成し遂げたいと考えながら成し遂げられないのであれば、それは「単純な継続が根気を養う」ことを知らないからです。
周囲の人から見られたい、認められたいとの思いが強い人は独りの時、単純な鍛錬は出来ません。それは心が外に奪われていて「心ここに非ず」の状態でいるからです。
何事でも頭角を現す人はある日突然です。普段はどこにでもいるような凡人の如く感じる人が単純な鍛錬を大事にしているです。それは「夢・志を楽しく描いているから」です。だからこそ人様を侮るべきではないのです。少しくらい何事か出来たとしても口に出し誇るようであっては心底が知れるのです。いわゆるお里が分かるということです。
「自分の心を」。
私は自分の心がきれいだとも、純粋だとも思っていません。しかしきれいな人だな、純粋な人だなと感じる心は持っています。それを大事にしたいとも思っています。万分の一でもそう在りたいと願っているからです。しかしながらなかなかにそうはならないのが現実です。だからこそ「心学」を失わず繰り返し学び勇気を失わないようにしています。
菜根譚前集55条「心地乾浄(しんちけんじよう)にして、方(はじ)めて書を読み古(いにしえ)を学ぶべし。然(しか)らずば、一(いつ)の善行を見ては、竊(ひそか)に以て私を済(な)し、一の善言を聞きては、仮(か)りて以て短(たん)を覆(おお)う。是れ又、寇(こう)に兵を藉(か)して、盗(とう)に粮(ろう)を齎(もたら)すなり。」。
意は「名誉や利益という心の雑念をきれいさっぱりとぬぐい去って、そこではじめて書物を読み、古の聖賢のことを学ぶことができる。心がきれいでなかったら、古人の一つの善行を見ると、ひそかに自分の善行にしてしまい、古人の一つの善言を聞くと、それを借りて自分の短所を隠す口実にしてしまう。
このようなことでは、わざわざ敵に武器を貸したり、盗人に食料を与えるようなもので、自分はいっこうに向上しない。」。
このような方を結構見受けますね、物覚えの良い人は滔々と古人の言葉を口にしてはいるが一向に自分自身の言行と一致していないという人です。しかしこのような人の言葉に往々にして乗ってしまうということがあります。このようであってはよろしくありません。孔子はどんな人間の言葉でも大切に聞きはしたが、人に信を置く場合は「行動を見る」と言っています。
私の最も気をつけているところです。そして己の不出来を恥じてもいます。上に説かれていますが、自分の短所の言い訳、隠す口実としないようにありたいと修練しております。でなければ全てを人様に奪われてしまいかねません。言葉は飾ってはいけないということです。
感動して動かなければ感動とは云いません。今夜は「にんげん学」神戸講座、皆さんにお話、講話をさせていただく人間として欲という雑念を払って学びたいと思っています。皆さん、感動したことを少しでも実行できるように今日も過ごしましょう。
口耳三寸(こうじさんずん)の学は戒めましょう。(耳から聞いたいい話を自分の意見、考えの如く直ぐ口から出し話すこと、いい話を聞いたら己自身が出来るように練り上げてこそ人間性を高めるのです。出来てもいないにかかわらず滔々とおしゃべりをするようではいけません。)。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。      合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
「にんげん学」終了後の「お多幸さん」のごちそうです。「八寸樽盛・ほや貝と〆豆腐。新牛蒡と地鳥のすいとん和え。小芋。枝豆」。

鯛の潮汁

活いとより小倉あんかけ。

長崎活鯖棒寿司。名古屋河豚竜田揚げ。

お多幸特選「おでん盛り合わせ」

マスター今月もごちそうさまでした。来月も楽しみにしています。