今を楽しむ

おはようございます。

昨日稲刈りをしているところに出会いコンバインであれよあれよと刈り取っていく様子をしばし茫然と眺めていました。高校生の時クラブの費用を捻出するため学校近くの農家に数時間稲刈りのアルバイトをしたことがあります。当時は鎌を使って手で刈り取って行くわけですから重労働、そのあとにいただく、おにぎりが最高、それとバイト代の300円も(今時のバイト代にくらべるとびっくりでしょうね、それでも大喜び)。
お米は八十八と書いて米という字になるんだぞ、稔るまで八十八日もかかるのだということを教えてもらい、いろいろお手伝いをさせてもらうことでその苦労を実感もしました。物を作ることはいくら人間が欲したとしても、お天道様次第ということもあり、八十八日どころか一年一生を通しての農作業を考えれば自然と合掌し感謝しなければいけません。
農家の方に許可をいただき写真を撮ったのですが、稲刈りを見たことがないのか?と不思議がられました。その農家の方の顔は赤銅色をし如何にも健康そうな顔。きっと心が健康だから良いお顔なのだと幸せな気持ちになりました。
「今を楽しむ」。
未来を描ける人は「今を楽しめる人」だと考えています。自分が歩んでいる未来を信じる人も同じです。それは「信じているから」ではないでしょうか。私は少なくとも今を信じて歩んで来ました。
今を楽しめない人は将来に亘って楽しい人生とはならないのかもしれません。これまでいろいろな方を拝見してきました。仕事に楽な仕事、辛い仕事という二極、二元はありません。その人の思いが楽しい仕事を作り、辛い仕事と為すのではないでしょうか。
確かに合う仕事、合わない仕事、合う人、合わない人はあります。しかし二極的、二元的に物事を捉えてしまいますと、結局は人生を楽しめなくなるのです。
その中間もあることを知って下さい。それは「一人楽しむこと、自分だけが楽しむ事」です。合う合わないは「相手が在る事」の世界です。
私は自己実現を図るために人生を歩んでいます「自分のため」です。自分のために僧となり、僧として生涯を送ろうと一歩を踏み出しました。その行き着くところは私の行き着くところ、私だけが知っています。志とも言いますし、夢とも言えます。
その途中でいろいろな人との出会い、いろいろな現実とも出会い、喜怒哀楽を沢山沢山味わっています。涙したから喜びが、苦を味わったから楽しみが、別れがあったから出会いが、裏切られたと感じたから信頼が。
自分の「一人楽しむこと、自分だけが楽しむ事」をしようと決意したときから「今を楽しめる」ようになりました。そして多くの人の「愛を実感出来るようになった」のです。一人楽しみ、今を楽しむ。そうした生き方をして周りを見回しましたら、多勢の人が共に在ることに気づかせていただいたのです。そして感謝の日々です。
人生がまんせず、辛抱せず、自分の楽しみを楽しみましょう。今を楽しみますと自然我慢とは感じない我慢をしています、辛抱もしているのです。それよりも何よりも人の所為(せい)にしなくなるのです。苦よ、辛さよ今はありがとうです。昨日農家の方の赤銅色のお顔を拝見し、意のままにならない農作業の中で楽しみ生きておられる清々しさを感じ、何かなつかしいものを感じました。自分の楽しむ事をしましょう皆さん。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。      合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。