意識

おはようございます。

猛暑も一段落なのかなと思った途端厳しい残暑、最近朝の目覚めの時間は未だ真っ暗、やはり季節は巡っています。今月のご愛読ありがとうございます。毎月の事ですが一ヶ月欠かさず書かせていただけるのはやはり見てくださる皆様が在るという感謝の気持ちで一杯です。ありがとうございます。
とりとめもなく、まとまりもないただ私の思いを書かせていただいているだけの「毎日読む栄養ドリンク」ですが、私の方がお読みいただく皆さんに栄養をいただいていることを強く感じます。
「意識」。
この世界に入り数年経った頃から朝を殊更大事にするようになりました。理由を書けばそんなことかと言われてしまいますが、「やることが決められていたことに気づいたから」です。
何もわからない、できない、作れない私が朝起きれば「やることがある、為すことがある、これは凄いことだと思った」のです。
やること、為すことを「手がかりとして」今日が在ります。ですからいくら前の晩遅くなったとしても朝は「キッチリ起きよう」と意識し、決意したのです。いわゆる先ず修行の第一歩として「起きること」に徹したのです。
修業時代の生活リズムは「師匠が起きられる前に起き、休まれたら休む」ことが基本の一日でした。その中には寺の仕事(作務)、兄弟子の用事、一日中自分の自由な時間はありません。全て管理の中、管理というよりも監視といった方がいいのかもしれません。自分の意志での行動はできないという世界です。
そのような生活の中で体得したのが「指示されたことの中で自分の意志で自由に動く、自由に考える」ことでした。
このような意識を持つようになった端緒(たんちょ)、きっかけが上に書きました。何もわからない、できない私が朝起きればやることがある、為すことがあることを気づかせていただいたからです。
「不自由の中で自由を得た」のです。このように書きますと何か格好良く感じられるかもしれませんが、何の何の心の中は「どろどろ」、気づくまでは毎日「コンチキショー」でした(いけませんね、このようなことを書いては)。そしてどのような状況、環境の中でも閉塞感、行き詰まり感を感じず、その中から自由な発想ができるようになったのです。
意識は大事です。「物事は取りよう、思いよう、考え方一つ」とは古人は上手いことを言ったものです。自分の意識の中を他者に占領されないようにするのも大事です。そのためにも素直に自分を知ることも大切です。そして意識することを訓練することも、その一つが瞑想であり、祈りであり、心学です。これらは直ぐに始められます。それこそ皆さんの自由意志での選択です。
明日から9月、明日は早速第一日曜日です。心華寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」午前10時からです。一時間半自分のためにご一緒に祈りませんか、祈りを意識するだけで人生の方向性は更に良い方へ大きく転換します。今日も楽しい一日となりますことをお祈り致します。今月のご愛読ありがとうございます。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。      合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。