恥を知る

おはようございます。

「にんげん学」東京講座ご出席の皆さんありがとうございます。八幡浜のOさんお仕事で上京中のお忙しい中でのご出席感謝致します。
各地で皆さんにお会いして思うことですがただただ「ありがたい」の一言です。各地で論語を読み、老子を読みとご一緒いただきいつも感謝しております。
論語為政第2,17条に「これを知るをこれを知ると為し、知らざるを知らずと為せ、是れ知るなり」とあります。意は「はっきりわかっていることだけを「知っている」こととし、よく知らないことは「知らない」こととする。このように「知っていること」と「知らないこと」の間に明確な境界線を引ければ「本当に知っている」と言える」。
「恥を知る」。
私は皆さんより知っているから講座を始めたのではありません。「心学は人生の処方箋」だと思ったから皆さんに知ってもらいたいと考え始めたのです。誰しも悩み苦しむことがあるはずです。時に自暴自棄にならず、学ぶことで、実践の中で「修正する方法を身につけて欲しい」と願ってのことです。
知っている、知っていると言ったとしても、現実に対応できないようでは知っているとは言えません。「知っている」状態と「できる」状態とでは、大きな差があるのです。「できる」に到達するまでに、本当に地道な努力が必要です。
知る、知らないの線引きはどうしたらできるかといいますと、「恥を知る」ことです。恥を知ることは「卑下することではなく」、知る、知らないを確かにすることです。
「恥を知ることはとても素晴らしい人間らしさです。そこにこそ向上の機が生まれる」からです。
日本には古来から「恥の文化」がありました。今日の世の中の風潮は、これらとはまったく逆の方向にあるように思います。むしろそれらを否定することが「新しい生き方であるかのような思い違いをしているのではないかとさえ感じられます」。
全体的な統一調和など考えず、自分の立場さえ主張しさえすればよい、そうでなければ損をする、無私無欲などとんでもない、と我利の亡者となっているように見えて仕方がありません。そして輝きを失ってしまう人が増えたのではないかと憂慮するのです。
「講座」においでの皆さんは「知る、知らず」の線引きができているように感じます、そしてそのような方々とご一緒に学べる事、そして多くを気づかせていただくことに感謝するのです。
人間の器とはどのようなことをいうのでしょうか、私たちはさまざまな出来事に遭遇し、それを観察し、判断して、処理していきます。観察力や判断力とは持って生まれたものではなく、いろいろな経験を重ね、そこから学び、元気や志気、あるいは理想などを器の中に入れてつくっていくものだと思います。つまり、経験し、学び、器ができていくことによって、人間は人間となるのではないでしょうか。
我利我利亡者にならず、輝きを失わない人間の器をつくっていくためにも「知る、知らない」を確かにするためにも、恥を知る人間で在りたいと皆様の姿勢を拝見し、「知ったかぶりをせず、口先だけの人とならないために」いつも皆様とご一緒に学び恥を知る人間で在ろうとの思いを強くするのです。来月もお会いしましょう。
今日から一泊二日、CMAさん主催「管理職研修」が心華寺で行われます。これから一宮により愛車に乗って帰ります。今日も一杯知らないことを経験し器を大きくしましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。      合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
昨日の「ぶら和尚」は世田谷文学館で行われています「没後80年・宮沢賢治・詞と絵の宇宙・雨ニモマケズの心展」を見に行ってきました。一人の人間が多くの人の生涯に偉大な影響を与えている事実に感動。
門だけが残っている徳富蘆花の屋敷跡。電車内の案内の面白さと京王線の駅名の美しさ楽しさに満足。昨日は電車小僧に戻った一日。