それないため

おはようございます。

道に沿って歩むことが出来て良かった、道があって良かったと心底感謝しています。世間には沢山の道があり、それらの道は全て同じ頂上を目指していることも知る事が出来ました(使命を果たす、社会の役に立つこと)。その道には優劣はなく、万人の使命を果たさせてくれる道であります。それもありがたい大きなことです、道のあることに気づけば人は無益な争いをせず、自身に磨きをかけ更に多くの方へ貢献出来るのです。自分が歩める道に出会ったことに感謝しています。
幼少の頃から出来の悪い人間でしたので誇大妄想癖がありました。知力、行動力もないにもかかわらず、大きな事を考えている子でした。
そのまま成長し大人になっていたら、大きく道に外れたのではないかと今考えますと恐ろしい思いがします。心のゆがみというものは後になればなるほど大きなズレと成るからです。
「横道にそれない心学」。
「心学」は古典をひたすら読むわけですが、この古典の解釈は数多の先人が行ってきました。ですから「ああこの文章はこのような意味か」と直ぐ解るわけです。しかしこれでは本に「読まれている」のであって、読んでいるのではありませんし、自分の血肉に出来ているのでもないのです。行動と出来ていないからです。
意味を自分になりに解したら、現実の生活、仕事の中で「こういうことか、どういうことかと問う」ことが大事です。私たちの修行の第一が作務、掃除です。作務、掃除を教えられて、掃除はきれいにすることだと知るわけですが、知ったところできれいになるわけもないのです。又きれいにすることも当然ですが、「汚さないために、更に美しくするためにはという思いを致すことが真に教えを受ける」ということです。
本を読んで、先人の解釈を更に深めて知新することが真の学び。学びを通して自分を深めよう、進化させようとしたときに初めて本を読んでいるのです。そうすることで知識としたことで外に認めて貰おうという欲、功名心に惑わされず、脇道、横道にもそれずに真っ直ぐに目標に向かって歩むことができるのです。深めよう、進化させようとする探求心が自身の使命感の意欲を更に燃え立たせ、役割が与えられる事とも成るのです。
ただ単に広く知識を得ても「過ぎたるは及ばざるが如し」となってはただの器用貧乏でしかなく、深めようとする泥臭い人間を見て、バカにするような愚劣な人間にしかなれないのです。言葉、教えをただ単に会話をする道具のように考えている人を見ますと、悲しくなるときがあります。そのような人は周囲の人を傷つけ、自身を貶めていることに気づかないからでもあります。
学び、修練は茶で言うところの一期一会かもしれません、たった一度の出会いのために深め進化させるのではないかとも思っています。だから過去に囚われるのではなく、糧として深めることだと。たった一度の出会いが長いお付き合いになっているからです。出会いは一生に一度の出会いを重ねているのです。それを過去の失敗で修練を怠り、横道にそれているようではいけないとも思うのです。
真っ直ぐに目標に向かいながら、功名心に囚われ道に沿うことを忘れ横道にそれないための戒めの学が「心学」です。今夜は小倉講座、明日は神戸講座、両会場にてお待ちしております。今日も無心に楽しく働きましょう。充実した一日でありますようお祈り致します。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。      合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
愛宕寺の勝手口に咲いています朝顔です、きれいな花を見ては心を洗われ慰められています、花を見て己の未熟さをも実感しています。