構えない

おはようございます。

「にんげん学」小倉講座ご出席の皆さんありがとうございます。「老子を読む」いかがでしたか、深い意味でなかなか難しいですが、難しいからこそ深めようという意欲が強まり実践しなければと思います。
心学は実践のため精神を確かにする学です。知識だけとする学ではないことを胆に銘じたいものです。
器ものは形に用があるのではなく、くぼみにこそ器としての用がある、無こそ有である、この心境になりたいですね、来月もご一緒ください。
昨日は「横道にそれないための戒め」を書きました。「心学」は「柔軟性を失わないため」。学べば「頑(かたく)なならず」と孔子は言っています。老子は「水の柔軟性に学べ」と。横道にそれてしまうのはなぜでしょうか、その一つの原因は「方法へのこだわりすぎ」「方法論の認識の誤り」です。
「構えない」。
五輪の書」は剣豪宮本武蔵が表した書。私は剣の道には門外漢ですが、五輪の書は何回も何度も読んでいます。武蔵は剣の鍛錬によって毅然とした士道、輝ける個性を確立しました。武蔵の毅然とした生き様は今日の私たちにも大いに参考にできます。個性を大事にしたいと考えている方には大切な生き様です。
諂(へつら)わず、阿(おもね)らず、しかも無意味な争いをせず、突っぱらず、我を張らず生涯を貫いた。戦えばどちらかが死に傷つくこと、真の死の怖さを知っていたからではないでしょうか。昨今の世情でいじめたり、親が子を虐待する、子が親を、社会ではパワハラ、セクハラ等々、人を傷つけても何とも思わない、嘆かわしい限りです。しかしそれらも「教えざる罪」、教える立場にある大人が教えなかったからだと大いに反省しています。このようなおぞましい事態が生じるのも人生に対する処し方の誤りでもあります。「へぼ将棋王より飛車をかわいがり」と同じ事です。
五輪の書「水の巻」に「五方の構(かま)えの事」として剣の構えには「五つしかない」ということを書いています。構えることは「切るためだ」とも。武蔵は「目的と手段を取り違えるな」と言っているのです。真面目な人や頭がよいと言われる方の落とし穴に気をつけよと戒め、本末転倒することをも戒めています。
「五方のかまへは、上段、中段、下段、右のわきにかまゆる事、左のわきにかまゆる事、是(これ)五方也。
構五つにわかつといへども、皆人をきらん為也、構五つより外はなし。いづれのかまへなりとも、かまゆるとおもわず、きる事なりとおもうべし。構の大小はことにより剣にしたがうべし。
上中下は躰(たい)の構也。両わきはゆうの構也。右ひだりの構、うえのつまりて、わき一方のつまりたる所などにての構也。右ひだりは所によりて分別があり。
此道の大事にいはく、構のきわまりは中段と心得べし。中段、構の本意也。兵法大きにして見よ。中段は大将の座也。大将につぎ、あと四段の構也。能々(よくよく)吟味すべし」
つまり、形式、手段にとらわれていては目的を達成することはできない、と武蔵はいっているのです。剣法での目的が人を切ること、敵に勝つことだとすれば、現代では「ものの本質を見抜くこと」が目的となるのではないでしょうか。そして確かな手段で仕事の目的を達することです。目的を達成出来ないのは、手段にとらわれて目的を達成出来ていないのだという視点から物を見ることも大事です。そのためにも「心は自由」でなければいけません。知ったことで自縄自縛することは何事においてもよろしくないということです。これは私が一番心しなければいけないことだと反省しております。理屈倒れにならないようにしなければいけません。柔軟性を失わないための「心学」を修めましょう。
今夜は「にんげん学」神戸講座です。会場でお待ちしております。自分を確かにして今日もしなやかに過ごしましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。      合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
愛宕寺を出て小倉に向かいますときふと空を見上げたら秋晴れの空の雲がきれいでした、風に流され形が変わっても存在感のある雲のようでありたい。

小倉駅から勉強会の会場に向かうときに、勉強会の前に無形の雲が何を私に語りかけているのでしょう。