教え

おはようございます。

「にんげん学」東京講座ご出席の皆さんありがとうございます。来月又お会いしましょう。新しい方や、10年ぶりの方とご出席ありがたかった昨夜でした。寒暖の差があります、お大事にお過ごしください。
今日はこれから一番の新幹線で仙台に、東日本大震災の被災地にまいります。2年以上経ってしまいましたが、7月にHさんを通じて復興のお手伝いに一区切りをつけ、ようやく現地に足を運ぶ気持ちになれたからです。香華を手向けてまいります。そして新たな復興へのお手伝いをどのような気持ちと形でさせていただければと感じて来たいと思っています。
仙台駅に京都のIさんのお友達のBさんにお迎えいただきご案内をいただきます。Bさんがタイムスケジュールを立ててくださいました。何から何までBさんお世話になります、よろしくお願いいたします。
「教えは素晴らしい」。
昨日東京講座で一緒に学びました論語、衞霊公(えいれいこう)第15、38条「子曰く、教えありて類なし」。この教えにも私は勇気をもらいました。意は「孔子言う、人はいかなる種類の人でも、教育の善悪によって支配されないものはない。」。
人間は真っ白な状態で生まれてきます。しかし、その後に受ける教育によって善人にも悪人にもなってしまうのです。陽貨篇には「性、相い近し。習えば、相遠し」とあります。意は「生まれついての性質はそうそう大差がないが、学習によって人間は大きく差がついてくる」。
この孔子の教えから「類」を種類として、すなわち人間の持って生まれた性質と解しますと、人間は生まれたときには優劣はなく、教育によって賢くも愚かにもなるという意味になります。
少年時代は生まれつき私は出来が悪いのだと思って親を怨み、先祖を怨む愚かな人間でもありました。しかしある時自分の道を求め比叡山に登ったときから学ぶ事、教えを受けることの意義をひしひしと感じるようになったのです。孔子は人間の平等性を説き示してくれたのです。発心して歩み、その歩みを自分が止めることがなければ自分が目指す人間像に到達できるのです。教えは勇気を失わせません。教えは何と素晴らしいものなのでしょう、諦めることをさせません。
今日も仙台に行き多くの事を学び、教えていただきます。皆さんも多くの事から今日も気づきを得て下さい。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。      合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
「ぶら和尚」で鶴岡八幡宮、銭洗辨財天、足助稲荷、そして江ノ電に乗って大仏さんにおまいり。お昼はHさんのお友達のお店「石窯本格ナポリピッツア&イタリアン・MUGIMARU」さんで美味しいピッツアとパスタをいただきました。ご一緒いただいた皆さんありがとうございます。