慈悲

おはようございます。

今朝は故郷の実家で朝を迎えておりますやはり宇治よりは寒い。昨日東日本大震災の被災地を訪ね今までにない興奮状態で一夜を過ごしました。
昨日東京駅一番の「やまびこ」に乗車午前8時仙台駅着、BさんKさんにお出迎えいただきました。早速Bさんの車へ乗せていただき、一路塩竃、松島、東松島を経由し石巻、そこから女川に、女川で読経・献花・焼香をさせていただきました。「亡くなられた方602名、行方不明者268名」。殆どの家が流されその光景に言葉もありません。二年前はいかばかりかと想像もできません。
その後三陸道、東部道を経て仙台空港ICを経、名取市閖上(ゆりあげ)に、閖上中学校で「在校生の犠牲者14名」の方への読経、献花、焼香、廃校になり地震の時間で止まった時計を茫然とした思いで眺めました。
何とも言い難いものです。閖上地区全体を眺めても土台の跡だけが残り、広々とした宅地には草が生えているだけ、何とかしなければという思いが募る一日でした。帰りましたら又協力すべきことを考え行動しなければと思っています。ただただご冥福と復興をお祈りするだけです。
ご先祖の墓参りをして宇治に帰ります。一人の力では如何ともし難い現実を改めて感じ、共生の道を説かなければ、仁愛の道を説かなければとの思いばかりです。日々少しでも復興のために何かをしなければとの思いを強くしました。
「慈悲の心」。
昨日被災地をお訪ねし心華寺で日課にしています「仏教聖典読誦」の一節を思い出しました。雑宝蔵経の中にある言葉です紹介します。
「ヒマラヤ山のふもとの、ある竹やぶに、多くの鳥や獣と一緒に、一羽のおうむが住んでいた。あるときにわかに大風が起こり、竹と竹とが擦れあって火が起こった。火は風にあおられて、ついに大火となり、鳥も獣も逃げ場を失って泣き叫んだ。おうむは、一つには、長い間住居を与えてくれた竹やぶの恩に報いるために、一つには、大勢の鳥や獣の災難を哀れんで、彼らを救うために、近くの池に入っては翼を水に浸し、空にかけのぼっては滴を燃えさかる火の上にそそぎかけ、竹やぶの恩を思う心と、限りない慈愛の心で、たゆまずにこれを続けた。
慈悲と献身の心は天界の神を感動させた。神は空から下って来ておうむに語った。
「おまえの心はけなげであるが、この大いなる火をどうして羽の滴で消すことができよう。」
おうむは答えて言う。
「恩を思う心と慈悲の心からしていることが、できないはずはない。わたしはどうしてもやる。次の生に及んでもやりとおす。」と。
神はおうむの偉大な志にうたれ、力を合わせてこの竹やぶの火を消し止めた。」
いかがですこのお話。私はこの物語をただの物語だとは考えておりません。人は感動するものです、共鳴するものです。だからこそ行動のエネルギーへと変わるのではないでしょうか。そして慈悲の心の輪は一人また一人とつながっていくのだと信じます。遅すぎた感はありましたがお訪ねして香華を手向ける事が出来て良かったと思っています。ありがとうございます、と言いたいです。今日も素晴らしい一日でありますよう。BさんKさんありがとうございます感謝致します。又お訪ねします。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。      合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
昨日行きました女川、ビルが倒壊したままになっていました。市場で香華を手向けました。



住宅地でした。

閖上中学校。

地震で止まったまま。

閖上地区のほとんどが津波で流された。

Bさんからお供養をいただきました。


Bさんと実家の寺で。

BさんとKさん。

実家の寺にある将軍吉宗公から寄贈の高野槙