謙虚が必要

おはようございます。

勉強する人や謙虚な人は何故魅力的なのでしょう?、それは一つにはまだまだ未熟だと自分を客観的に見ている、見ることが出来ているからではないでしょうか。自信を持つことはよいとしても、俺は、私はできるんだ、できているんだと考えている人は、確かに仕事は出来るのかも知れませんが、人間的魅力はとなりますとはなはだ?ではないでしょうか。
そのような人は自分は完璧だと考えて人を受け付けない、寄せつけないからです。それでは人は親しみを感じず、完璧だと思っている人でも人に受け入れられなければいつしか周囲の人々の雰囲気でダメになってしまいかねません、やはり謙虚で在るということは大事なのです。
一見謙虚のように見える人がおります、素直に言葉を聞いて頷くのですが、ちっとも行動としない、こういう人もいただけません、いつしか化けの皮がはげます。このような態度を謙虚と勘違いしている人も多くいます。ただ単に調子を合わせているだけの人です。
「謙虚が必要な理由」。
謙虚で在ることの理由は必要ではありませんが、何で謙虚が大事なんだと考えておられる方もいると思いますので書いて見ましょう。
一つには、人間関係においてです。人は社会の中で生き、社会の一構成員です。集団の力は一人の人間より大きく、集団の知恵は一人の知恵より勝ります。ですから、人は他人を尊重し、他人に対し謙虚に礼儀正しく振る舞うべきです。
二つ目は、人間個人においてです。人は、それぞれ長所もあれば短所もあります。あなたのある部分は他人よりも秀でているかもしれませんが、別のところは、他人のほうが優れているはずです。他人の優れている部分を見習って自分を高め、他人の長所を手本として学ぶからには、そこに、礼儀正しい謙虚な気持ちで教えを乞うという姿勢が求められます。
三つめは、物事の対比においてです。事象というのは複雑で、さまざまな矛盾や問題を抱えながら存在し、発展しています。つまり、こうした複雑な事象に対する人間の認識には限界があるわけです。ですから、人間は、物事や事象に対して、謙虚な態度で対する必要があるのです。でなければ足下を掬われるという危険性を大きくするのです。
傲慢さゆえに、失敗、失脚、没落の憂き目に遭った人は枚挙に暇はありません、謙虚で在りながら大胆な行動を出来るよう学びましょう。今夜は「にんげん学」小倉講座「老子を読む」会場でお待ちしております。老子「不争の徳」も謙虚の一つ、今日も謙虚に沢山の人に学びましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。      合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。