趣味

おはようございます。

「にんげん学」神戸講座ご出席の皆さんありがとうございます。今年は来月の講座を残すだけで12月はお休みです。来月27日(水)は今年の総決算、是非沢山の方とご一緒に勉強したいと願っています、お大事お過ごしください、来月又お会いしましょう。
昨日午前中久しぶりゆっくりと自分だけの時間を過ごしました。お昼過ぎの新幹線に乗り神戸に移動するまでの時間をボンヤリと過ごす。朝7時過ぎまで目があかなかったことも久しぶり、何年ぶりかさえ思い出せないくらいでした。
私の短所の一つ「心に遊びがない、余裕がない」こと。弟子達や家族は苦労していることでしょう。思いやり、仁徳を日々の生活の中で振り返り高めていかなければと、今誠澄が厳しい行を行っている姿を見て反省しています。ふと何も趣味がなかった、私的楽しみがなかった故の視野狭窄ではないかと思い返しています。学びに心を張りつめることも大事ですが、そればかりでは人間性を豊にすることはできないのです。ゆるめることも大切です。
「趣味」。
52才から小さな白いボールをおいかけるという楽しみを覚えました。それから少しずつではありますが、人様への思いやりが増したようです。遅すぎの感は否めません。言い訳の通じないスポーツ。それまでは言葉を弄して誤魔化してきたのではないかと恥じ入っています。
論語、述而第7、6条「子曰く、道に志し、徳に依り、仁に依り、芸に游(あそ)ぶ。」。
意は「正義の道が実現できるように志を掲げ、道徳を身につけて恥ずかしい生き方をせず、人を思いやる慈愛の心を持って、学問やスポーツでも教養を高め楽しむ。そんな日常を過ごしたいものだ。」。
何事の道も人様のお役に立つのが道。人の道を外れないように徳を大事にする。そして人様を思いやる仁、この三つを身につけること、その上で日々芸、趣味に楽しく励みたいものだと孔子はいうのです。そうであれば芸や楽しみの中でも教養を高められる、人格を養えるというのです。ただたんに楽しさに溺れるとうことはなく、一つの価値観しか認めないような堅苦しい人間性とはならないというのです。
何故孔子はこのように考えたのかが最近少しだけ理解出来てきたように思えます。バランスのある人間性の追求です。自分がいくら高い知識や技術を備えていても、人として本質的な仁や徳に裏打ちされていなければ、何の意味もないからです。
仁や徳は自分を振り返ることでしか身につかないのです。自分を振り返る要素の一つとしてはやはり「芸・趣味」が代表の一つです。結果の責任は自分一人で負うしかないからです。
でなければ人を責めるばかりの心の狭い人間性を作るぞと警告するのです。最近頻繁に起きる有名企業の不祥事、自分は悪いのではなく、管理が行き届いていなかったのではなく、下の者が悪いような会見での弁明を聞く度に今までの私の姿とダブって見えるのです。何か背筋がぞっ〜っとしてきます。
人としての基本である「正しい道への志」「道徳」「慈愛」を備えれば、趣味からでも自分を高めていくと孔子は教えます。このような気持ち、意識が強まれば人を導くときにおいても、事が起きる前にアドバイスでき、下の人たちは上の人を慕い敬う気持ちを増し、教えを聞くようにもなるのではないでしょうか。人を責めるのは簡単、簡単だからこそ何の改良も見られない。
仕事は共に協調し成果を出し完成させるものです。個の世界での責任を取るという趣味を持つことで、努力しても善い結果が得られないことを実感、体感すればこそ、確かに自分を振り返ることができます。そして的確なアドバイスが出来るようになるのではと最近しみじみ反省しています。
確かに自分を振り返り高めて行けばこそ若い人が修正できる現実も見えてくるのです。修正出来るようになって貰うためにも慈愛によるアドバイスをしなければと反省しています。同じ過ちの繰り返しは私の心の狭さからきたものだと感じています。
テレビの顔とさえいわれているような人でも子どもを育てることで苦悩している姿を見てバランスのある人間性の大事をひしひしと感じています。今日も素晴らしい一日でありますようお祈り致します。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。      合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
博多から乗りました「さくら」の車体に描かれた「くまもん」。