将来

おはようございます。

私はいろいろな人を見てきましたが、貧富の差はどこから生まれるのだろうと考えて人様の言動を見ていたときがあります。このようなことが一つの原因かなと気づいたことがあります。私の解釈ですから間違っているかもしれませんが。
「将来のことを考えている人は富み、目先のことだけを考えている人は貧する」と感じてます。孔子も「目先の事ばかり考えていると、つまづくぞ」として「子曰く、遠き慮りなければ、必ず近き憂いあり。」と教えています。
「将来」。
将来のことを考える人はやはり学びます、一年後、10年後、五十年後を見据えて学び己を養う人です。そして結果を求めて行動します。ただ単に指示されたからではなく、指示されたことからキチンと結果を出すために学び実践しています。春に植えて秋に実るのが道理、身近な一年の世界でも何事も時間の要することを知って準備、実行し、育て、肥やしをやり、草を取り、虫除けをし、怠らないのです。
ところが目先の事だけを考える人は、春に植えなければならないものさえ植えず(計画を立てず、準備もしない)、肥やしもやらず、育てもしない、草取りもせず、煩悩のおもむくまま、いわゆる学ばず、己を戒めないのです。欲だけはあっても、目の前の利益に迷って、蒔かないで取り、植えないで刈り取ることばかりに目を付けている。それ故に貧窮してしまうのです。当然の理なのですが、その理が分かっていないのです。
将来のことを考える人は毎年植えては刈りを繰り返し、経験、体験から学び、年々尽きることがないのです。故に無尽蔵に豊となるのです。
学問の道は真っ直ぐです。ですが、学問の道を人道に生かせばなかなかに真っ直ぐには行かないものです。大地は蒔いた物を育みはしますが、手入れを怠れば稔りは少ないのと同様にです。
社会に一歩踏み出せば、社会という大地は私たちを受け入れてはくれます。何も蒔かないでも最初は取り入れをさせてくれるのが社会・会社という大地です。その現実を人道、人の道として知り感謝しなければ、次の年には二度と刈り取るものがないことを人道だと知るべきです。
己が蒔かずに刈り取ったものは、一度取れば二度と刈り取ることが出来ないのが道理、それを知るのが学問の道です。人の道、人道として自らの意志で種を蒔き育てていかなければ、いくら育む土壌(社会・会社)があったとしても何一つ育つ道理はありません。
学んでどのように人の道に生かしていくのかをしっかりと知るべきです。今日も学んだことを人様に生かすことで大いに役立てる一日としましょう。それが貧富の分かれ目でもあるのではないでしょうか。学問の道を知り、人としての心学の道を知り得てこそ真に学問を社会に、人様のために生かすことができるのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。日々の徳目、勤勉・質素・人のために一隅を照らす。      合掌
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伊丹のYさんが今年も誠澄の「懺悔練行」に随喜されました。Yさんごくろうさまでした、随喜の功徳は大いなる守護があります。