責任

おはようございます。

M社の皆さん昨日はお世話になりました。四回の講義も来月一回を残すだけ、来月まで復習、予習をしっかりして最終回の講義をむかえたいと考えています。皆さんも復習ください。体調を崩さないようお仕事にご精進くださいますよう。ありがとうございます。
「責任」。
私たちは立場が違ってもそれぞれ責任があります。責任感を持たないような恥を知らない人間になってはいけません。最近はこの責任感、倫理観というものが欠落しているのではないかと感じてなりません。
人間は保身を考えることは誰しも当然なことです。しかし保身は我であってはなりません。我は社会性が無く、目の前の保身は保てても、我の考えの中には社会性、客観性もありませんから、我の行為は社会性を否定していますので、やがては社会から必要とされなくなってしまうのが当然の道理、結末であります。保身を謀る個人、会社は破滅に至るのが当然の帰結でもあります。
「子曰く、志士仁人は、生を求めて以て仁を害すること無し。身を殺して以て仁を成すこと有り。」論語、衞霊公第15、9条。
意は「志の高い人物や慈愛の深い人物は、我が身惜しさに仁の道からはずれるような事はしない。それどころか、仁の道を歩むためなら我が身を犠牲にする事もあるんだ。」。
これは「まずは責任をとるという、気持ちを確かに持て」ということです。仁者、仁を心がけている人は、自分の保身のために正しい道からはずれることをしません。逆にいいますと、何か過ちを犯した場合でも、ごまかす事なく責任をとるのが仁者です。
組織において「責任をとる」とはどういうことなのでしょうか。すぐに思いつくのは辞職、減給、降格などがあります。このようにわかりやすい形で責任をとらされる事がほとんどでしょう。しかし本人が過ちに対して何も感じなければ、その罪も意味のないものになります。(先日来テレビでこのような姿を多く目にしております)。
過ちは誰でも犯すことですが、そこで「失敗した、懲りた、恥ずかしい」と感じ、二度と同じ過ちを繰り返さないようにするのが「責任を取るということ」です。
「部下の責任は上司も一緒に考える」べきです。責任をとるという事は、過ちを犯した人がする行為です。しかし、組織において部下の犯した過ちは「上司も一緒に考えなければいけません」。全体を見渡す事を求められる上司が、部下の誤った判断を見極められなかったという事になるからです。
部下を思いやり、何が間違っていたのかを一緒に反省すれば、そこには「より強い絆が生まれるはずです」。部下を正しい道に導く。これも上司としての役割、責任です。このような会社の「風土を作る」ことは「仁の思いを確かに持つ」ことから始まります。
過ちを隠しごまかし、多くの社員を路頭に迷わすような会社であってはならず、社会であってはなりません。今日も責任を確かにして楽しい一日としましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。