務本

おはようございます。

23日の「心華みのり祭・採燈大護摩法要」の大護摩壇を組みます檜の葉も昨日伊丹のYさんのご奉仕で無事用意できました。Yさんありがとうございます。素晴らしい護摩壇が組み上がり大火炎となり天上界へ皆様の祈りが聞き届けられることでしょう。皆さん23日は是非おまいり下さい、午前10時からです。
「修せずんば、現れず。行ぜずんば得られず」。祈りの行動は人生の運気の向上をもたらします。
昨日「にんげん学」神戸講座で用います「論語」の予習をしておりました。学而第1の冒頭の「子曰く、学びて時に之を習う、亦説(またよろこ)ばしからずや」の意味が繰り返し繰り返し学ぶことで実感・体感出来るのがやはり愉快であり悦びであることを改めて感じた一日でした。
「務本」
務本(むほん)「本を務める」、人間は己が何を以て人生の核、芯と為すのか、道と為すのか、己の根本を確立するのかが大事です(そのことが務本、本を務めること)。私たちは「仁、思いやりをなくしては人のお役に立てません」。仁の道を歩み実践すれば自ずから道は切り開かれ使命と為すことができるのです。使命感を持てば人生にブレは生じず、確固たる人生を歩めるのです。
学而第1、16は学而篇の最後の条です。「子曰く、人の己を知らざるを患(うれ)へず。人を知らざるを患(うりよ)う。」を読み新たなショックと感動、悦びを覚えました。
意は「孔子言う、他人が自分の価値実力を知ってくれないことを気にかける必要はない。ただ自分が人の価値実力を認めることの出来ないのを心にかけて注意すべきである」。
この条も務本、本を務める大事を教えています。世間様に自分が知って欲しいと思いながら、何故私たちは人から認めてもらえないのかという苦しみに苛まれるのでしょう。孔子はこの条で見事にその原因を示し教えております。
それは「人の価値実力を認めることが出来ない、己の心の狭さにあるのだ」というのです。まったくこの通りではないでしょうか。人を否定することは社会を否定することです。目の前の人々の価値実力を認められないというのでは、人様はこちらも認めてくれる道理はないのです。
毀誉褒貶を気にして悩む前に、まず己を修める必要のあることに目覚めよ、というのです。人の素晴らしさに気づけないようでは、社会が何を求めているのかさえ気づけず、人様のお役に立つ勉強、研究など出来るべくもないのです。
今日はじっくりと周囲の人様を見る一日としましょう。脚下照顧、足下に素晴らしい世界があることを見落としてはいけません。お手本と出来る人が多く居るはずです。いい人と出会えますように。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。