感動を

おはようございます。

愛宕寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」おまいりありがとうございます。外護摩の大火炎も素晴らしいですが、内護摩の炎の美しさは心の中に染み入る炎です。23日は心華寺、24日昨日は愛宕寺と皆さんとご一緒に祈る日が続きますと連日続いて欲しいと願ってしまいます。
時々あるからありがたいことは十二分に分かってはいるのですが、欲ですね。でもこのような皆さんと共にという素直な欲は御仏もお許しになられるのではと甘えているのですが、いかがでしょうか、やはり欲ですかね。
11月の最終週、総括の週、朝静かに瞑想しご先祖に感謝、心を整えお仕事に向かって下さい。自分を確かにしてスタートすることで一日を大切にできます。物言わぬご神仏に感謝してこそ真に感謝出来る人間性となります。
「感動を得たら」。
私は自分が感動を得たら人様にも感動を味わっていただくようにすることが感謝、報恩の行動だと考えています。皆さんはいかがでしょうか。言葉ではなく、自身の行動でお返しし感動していただくことです。これも欲かもしれません。
自分の歩む道、進む方向を気づかせ教えてくれたのですから、それをお返しするには行動しかないのです。感動すればこそ、まねぶ(学ぶ)ことで、先人の足跡を尋ね、論理も知ることができたのです。
行動すればするほどその困難さを感じます。感動し行動すればこそ困難な状況になればなるほどさらにやる気も湧き出ます。一度や二度の難儀で止めることをしません。又その困難を一度克服しますと、多くの感動の体験をすることにある日私は気づきました。
感動して行動することと、欲で行動することの違いは継続できるか、出来ないかに現れてきます。
克服する喜びを知れば、さらに多くの人の優れている点が見えてくるようになったようです。お手本とする人を多くすることになり、またもややる気に火が着くのです。私は子どもの頃何か困難に遭うとすぐさま逃げていました。しかし逃げることの出来ない、「ヘレン・ケラー物語の奇跡の人」を観たときの感動を思い出しますと今も勇気がたぎり、中学2年生の若いときの記憶が蘇ってきます。
それから後今日まで共に感動をという思いを抱き、どうすればどうすればとの思いを強くしています。私は論理的思考が下手な人間です。みんなと共にという思いだけで歩んで来たように思います。ですから理屈を超えていろいろな人と暮らすこともでき、喜びを共有できたと感謝しています。
皆さんご一緒にお祈り下さりありがとうございます。感動の日をありがとうございます。今日はどんな感動と出会えるのか楽しみです。明晩は「にんげん学」小倉講座「老子を読む」皆さん会場でお待ちしております。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
ご本尊様へお供えしますお膳です。