自分を確かに

おはようございます。

街や駅はイルミネーションで夜を彩り人の心を浮き立たせてくれます。昨夜も小倉の駅で目を見張ってしまいました。
「にんげん学」小倉講座ご出席の皆さんありがとうございます。どうですか昨日の「寵愛(ちようあい)をうけるか屈辱(くつじよく)をうけるか、人びとはそれにびくびくして不安でいる。それは、名誉(めいよ)とか財産とかいった大きな心配ごとをたいせつなものとして、わが身と同じように考えるからだ。」という老子の言葉、ズキッときませんか皆さん。
私の心を言い表しているようです。大事にされたい、無視されたくない、地位や肩書きがなければとの心にとらわれ何一つ人間的な修養ができておらず、常にビクビクして生活をしている。このような姿は周りから見れば滑稽そのものなのです。自分を棚に上げて言いますと人様の生き様に上記のような方を多く見るからです。
又「寵愛と屈辱とにびくびくと不安でいるというのは、どういうことか。寵愛をよいこととし、屈辱を悪いこととして、うまくいくかとびくびくし、だめになるかと不安でいる。それが、寵愛と屈辱とにびくびくと不安でいるということだ。」。
この通りのことで人間は悩んでいますね〜。ただ単に褒められ悪の道に、耳に痛い忠言を悪口と受け止め、反省できない己となるような、逆さまな人間にはなりたくありません。日本を代表する知事さんでも何で?というような脇の甘さ、寵愛と、名誉に誑かされてのことですね。
「自分を確かに」。
なんでこのように老子は人の心を知り得たのでしょう。古典を読みますと人生に安心感を得ます。そうだそうだその通りだ、これでは全く自分などないではないか、振り回されるだけでは人生ダメだ、素直に歩もうと勇気と希望が湧き出てくるのは私一人りではないのではないでしょうか。
懸命に勉強して、社会貢献しよう、人様のお役に立とうと真摯な気持ちでいたにも関わらず、なにか不満めいたものを感じてしまう、そのような意識の裏に、老子が示してくれた、褒められたい、屈辱を味わいたくないという、素直な人間的感情から湧き出た理性を失った不満ではないでしょうか。
不満を感じるからこそ、「がんばらなくていいよ、争ってはダメだぞ、競争する意識から自分をダメにしてはいかんぞ、無意味な競争意識から自分に目覚めらず、迷いの世界に落ち込んでしまってはいかんぞ」と老子は諭すのです。
故に老子を読む必要性があるのです。そうすることで人間性が回復されます。何度も何度も身体の中にすり込み精神性まで高めていければ、何事にも動ぜず、真実己を高められる楽しい人生と化していきます。
ご一緒に勉強してくださりありがとうございます。来月は本年最終講座です。参加者が沢山来てくださることを信じ、寵愛と屈辱にビクビクせず信じて淡々とお待ちします(ムリかな?、一ヶ月修練します)。
寒さに向かいます。お大事お過ごし下さい。さて今夜はにんげん学「神戸講座」、神戸地区の皆さん「論語を読む」本年最終講座です。会場でお待ちしております。今日も毀誉褒貶に惑わされず堂々と一日をお過ごしください。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
「お多幸」さん昨夜も美味しいお料理ありがとうございます。
小倉駅前です。

鯛とカンパチのごま和え。

ブリ大根。

天ぷら盛り合わせ。

高菜巻。

Oさんお誕生日おめでとうございます、これからもお元気で。