遂事は諫めず

おはようございます。

私は弟子を指導したり、皆さんのご相談に乗ったり、「にんげん学」講座でお話させていただいたりと、いろいろな場面での機会があります。時に過ぎたことを叱ったり、嘆いたりすることを多くするときがあります。このような事はやはり愚痴であり、愚痴は自分の指導や、導き方が悪かった故に起きるのだと最近しみじみと反省しています。
皆様も後輩の方や社員さんを指導するに当たり、いろいろとご苦労するときがあるのではないでしょうか。
「遂事は諫めず」。
遂事(すいじ)は諫(いさ)めず、とは論語、八佾(はちいつ)第3、21条に出てくる言葉です。孔子の弟子の宰我(さいが)が人の質問に対し間違った答えを発したことを聞いた孔子が、「成事は説かず、遂事は諫めず、既往(きおう)は咎(とが)めず。」と言ったという話しです。
意は「できてしまった事柄については、今更その曲直を説いても仕方がない。なしとげた事柄については、こうすべきであったと後から諫めて見ても仕方がない。過去の事は今更とがめだてして見ても始まらぬ。」というものです。
孔子も弟子の教育には心を痛め、頭を悩ませたのでしょう。孔子という人は余り人を叱ったり、褒めたりという事をしなかった人だと言われています。いずれにしても、情の大切さは知っていたとしても、情に溺れることを戒めていたのかもしれません。また自省して教え導くことを「どうすれば、どうすれば」といつも考えていたのでしょう。
人は失敗を繰り返しながら成長していくのでしょうが、人に迷惑をかけたり、自分で責任がとれないような状況を作ってしまうことは厳にしてはなりません。また自分が話し、導いた言葉で人様に道を過たす原因を作ることなどはもってのほかです。
そのためにはやはり、「学びて時に之を習う」という日々の鍛錬、学習が大事です。そして「人 知らずして慍(いから)らず」、人に知られずとも、理解されずとも、相手に対して怒りを向けず、自省ですね。理解をしてもらえるように学びを専心にしたいものだとしみじみと反省しています。
今夜は「にんげん学」一宮講座、明晩は東京講座、共に「論語を読む」です。会場でお待ちしております。本年最終講座です、よろしくご出席下さい。
後悔先に立たず、後でどうすることも出来ない故の愚痴を言わずに済むような確かな一日を過ごしましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
昨日「特定非営利(NPO)活動法人こころのはな」の認定書を授与されました。又一歩前進、皆様方のご協力をお願いします。