忠言と

おはようございます。

寒さが日一日と増しています、お体大切にして下さい皆さん。自然の寒さに対応することは素直出来たとしても、人様に対応する時はどうでしょう、素直に対処できているかな?と、いつも私は考えます?。
ご祈願や講演、研修をいただいている方々、日常の勤めに対し、確かな対応ができているかという事です。信頼を損なっているのではないだろうか、違った、的外れなことをやっているのではないだろうか等々。
私たちは人様や経験体験、日常の実践から学び胆に銘じ、思考、行動を改めなければ、喉もと過ぎれば熱さ忘れて、次へのステップアップにはならず、悪循環を繰り返すだけです。「賢を見ては斉しからんことを思い、不賢を見ては内に自ら省みる」でなければいけません。
「忠言と甘言」。
菜根譚前集5条「耳中(じちゆう)、常に耳に逆らうの言を聞き、心中、常に心に払(もと)るの事有らば、纔(わず)かに是れ徳に進み行いを修むるの砥石(しせき)なるのみ。若(も)し、言々耳(げんげんみみ)を悦ばし、事々心(じじこころ)に快くば、便(すなわ)ち此の生を把(と)りて鴆毒(ちんどく)の中(うち)に埋在(まいざい)せん。」
意は「耳にいつも聞きづらい忠言を聞き、心にはいつも思い通りにならないことがあったならば、それではじめて人間を徳に進ませ、行いを修めさせることのできる砥石のような役割を果たすものとなるだけである。
もし、言われる言葉がすべて快く耳に聞こえ、物事がすべて心に満足するようなら、そんなことではこの人生を自分で猛毒の中に投げ沈めてしまうようなものである」。
「説苑(ぜいえん・正諫第9)」にこんな言葉もあります「良薬は口に苦けれど、病に利あり、忠言は耳に逆らえども行いに利あり」と。
耳に逆らう言葉は誰が聞いても嫌なもので、だからこそ逆らって己を正すことをせず、益々意地を張り悪くなってしまう人も多くいます。
また耳障りの善い言葉ばかり欲して身を持ち崩してしまう人も。心地良い言葉ばかり欲するようでは毎日毒を飲んでいるようだと菜根譚は教えるのです。
私の所へ困り事で相談にこられる方が大勢おられます。最初はどのような言葉でも素直に聞き入れてくださるのですが(溺れる者は藁をもつかむ)、少しよい兆候が見え始めますと、聞き入れてくださらなくなる方がいます。
人生の処し方で行き詰まる人、困窮する事を繰り返す多くの人の特徴として「喉もと過ぎれば」という方が多いのです。教えを我が行動の基本と出来ないのです。物を作り出すに数理・計算や法則に従わなければ完成を見ません。
身の処し方も同様。道理に従わなければ、価値観の違う人様との和合などあり得ないのです。
人生の道理に従うことが己の人生を成功に導くという道理に余りにも気づかない人が多いのが私の悩みであり、どうすれば分かってもらえるだろうと日々考えています。
少し病が安定してきたので頃合を測り忠言を発しまと、来なくなるのです。そして今まで以上の悲惨な苦しみを味わう世界に自ら入りこんでしまうはめになるのです。
因果応報と言えばそれまでで、何故よい兆しを得ながら来なくなるのかと考えてみますと、やはり「良くなると耳障りが悪くなるから」です。教えは、「事があったときに役立つもの」「岐路に立ったときに力を発揮するもの」ということを知らない故の愚かな行動でもあるのです。
祈ること、学ぶことは岐路に立ったとき役に立つこと、力が発揮されることをお忘れありませんように。だからこそ日々楽しく祈り学ぶことを続けることが出来るのです。皆さんの今日の幸せをお祈りします。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。