畏敬

おはようございます。

冷え込んでいる朝は、朝日が輝いています。お勤めをしていますと冷え込みを厳しく感じるときがありますが、それが日の出の時だとわかります。夜明け前が何事でも厳しいのかも知れません、時に祈りに力を込めます。厳しさが増したと思ったとき人生の黎明、夜明けは目の前なのでしょう。
添え護摩祈願を修しますとき、皆さんが書いておられる心願に意識を集中、心中で唱え炎の中へ護摩木を投じます。音もなく炎が護摩木を焦がし次第に燃え上がる、その炎に又さらに念を込め呪文を唱え祈りを深めます。護摩の修法は理屈を超え必ず心願を成就させます。この事実が長年修せる所以であり、祈願者が絶えない理由です。そのご利益に祈る私が驚いておりますし、そしてさらに祈る事へ無心になる所以でもあるのです。
「畏敬」。
論語、季氏第16、8条「孔子曰く、君子に三畏有り。天命を畏れ、大人を畏れ、聖人の言を畏る。小人は天命を知らずして、畏れず。大人に狎れ、聖人の言を侮る。」。
意は「孔子言う、君子には三つの畏れ戒めることがある。一つは天命を畏れることであり、二つは大人を畏れることであり、三つは聖人の言葉を畏れることである。これに反して小人は、天命を知らぬから、これを畏れることがない。又大人に対して狎れ親しんで畏敬することを知らず、聖人の言葉に対しては、時勢に迂(うと)いものとしてこれを軽蔑する。」。
いかがですか、皆さんは上の条を読まれてどのようにご自身を見ますか?、私は君子とはいきませんが、小人のようであってはならじ、と考えます。君子の如き畏れる人間でありたいものです。
人を侮ることは自身を侮ることです。人を尊敬できない人は尊敬してくれる人とも出会えませんし、やはり己の天命を知ることも出来ず、夢中になれることがないことは不幸なことです。
天命の定義は難しいことですが、徳命と録命が含んでいます。徳命とは授かった能力、端的に言えば五感・五体です。私たちには素晴らしい五感・五体が授かっています。五感・五体を使って社会貢献することを天命、徳命というのです。
損得、利害で考えるのではなく、授かった身体を使って徹底して貢献することの使命を私たちはおぎゃぁ〜と生まれたら果たすべきだということです。
禄命とは、吉凶禍福のことであります。私たちにはどうすることも出来ない世界、吉凶禍福を得たとき、喜びすぎず、落ち込まず己を律し、糧にすることです。何事にでも「人事を尽くして天命を待つ」ことが肝要だと言うことです。
小人はこれらを知らないから、不満のタネ、不足の種として生涯を愚痴って生きるという、充実の喜びも知らず、律する喜びも知らず、畏敬する喜びも知らぬが故にさらに面白味のない人生を自分で演出してしまうのです。
私は人を大切にすべきだと感じない日はありません。このように畏敬の念の大切さを気づかせていただいたお陰で素晴らしい人との出会いを重ねております。
今日も素晴らしい人様との出会いが楽しみです。皆様にも今日という日が素晴らしい出会いのある一日でありますよう。今朝も冷え込んでいます、お大事に休日をお過ごし下さい。今からお護摩を修します。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。