苦しみ

おはようございます。

私たちの苦しみは結構勝手な思いから苦しんだり悩んだりしているものです。その一つが「なければないで苦しみ、あればあるで苦しむ」ということがあります。
捨てるということはとても難しいことで、執着心を捨てる、物を捨てる等々、身辺にあまりにも多くのものを抱えすぎているのが私たちではないでしょうか。わかっていはいるがなかなか捨てられない。捨てることができず自分で自分を追い込んでいる。
「苦しみ」。
上に書いたように我が侭な私は「なければないで苦しみ、あればあるで苦しむ」という思いをしております。坊主とは思えない煩悩の塊。
私たちは何かを始めたり、事を起こしますと事が成らないと不安になってしまいます。できないときは又一からやり直せばいいものを、あれやこれやと思い悩んでしまう、よくないですね、このような思いからは何の良いアイデアも気づきも得られません。
働かなければ生きてはいけない、仕事をしなければ人が認めてくれないと心配になり、必死になって働く、働かなければ食べてはいけない、生きてはいけない、その通りです。しかしここ最近比叡山下山後から親しくしていただいています方々が亡くなる現実を目の当たりにしますと、食べていても人間は結局は老い、病み、死んでいかなくてはならないのだ、ということをしみじみと実感。
そうしますと、基本的なことですが、一体何のために働き、食べていくのかということがよくわからなくなります。ただ生きていくためというのでは余りにも淋しいではありませんか。何のために生きていくのかという問いがそこから起こってくるのです。
「立場の高下にかかわらず、富の多少にかかわらず、すべてみな金銭のことだけに苦しむ。なければないで苦しみ、あればあるで苦しみ、ひたすらに欲のために心を使って安らかな時がない」(仏教聖典、おしえ、第4章、煩悩、第4節迷いのすがた)。
日課で読んでいます「仏教聖典」に書いてある語です。つまり、どんな人でも欲にふりまわされて、ものを求め、もののしもべとなってしまっている。欲しい欲しいの連続であります。ある人が「現代はもっとの二乗の時代である」と言っていましたが、その通りかも知れません。
しかし、それらのものを手に入れますと、その時は満足感がありますが、それもやがて消え失せてしまうのです。そして、また次にものをほしがるのです。まさに欲望の無限大であり、欲望の無限連鎖です。
仏法では人間を貫く毒性として次の三つをあげています。貪欲(とんよく)=むさぼりのこころ。瞋恚(しんに)=いかりのこころ。愚痴(ぐち)=おろかなこころ。
三毒の煩悩といわれています。人間の煩悩は無限であると言われますが、集約するとこの三つに収まるのです。貪欲とは限りなき欲望であり、瞋恚とは怒りの心です。怒りには瞋と忿(ふん)という二種類があります。瞋とはおもての怒り、つまり表面にあらわれる怒りです。忿とはこころの怒り、内面の怒りです。
そして、愚痴とは愚かな心と言われます。詳しくいいますと、道理に暗いということで、もののことわりがわからず、自己の思いが通らないとそれだけで破綻してしまうのが私たちであり、それを愚かなこころというのです。
私たちはなんでも自分の思い通りにしたい。なんでも手に入れたい。これが貪欲の顔です。それが果たされないと私たちはたちまち怒りの炎につつまれて自己を失うのです。これが瞋恚です。
そして、それらはものの道理、つまりすべてのものは流動変化している、何一つとして私の思うままにならないという道理に暗いからです。
この道理を知らず、道理に暗い人間の姿を愚痴というのです。愚かさが貪りを生み、貪りが瞋恚を呼ぶのです。
足るを知り、感謝して過ごしましょう。それが自分のこころを騒がせない素晴らしい安心の道です。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
心華寺・金港辯財天。下関・愛宕寺の両寺は学業成就、諸芸上達のご利益ある寺です。只今入試合格祈願護摩を日々厳修し合格祈願を受け付けております。お身内の方や友人・知人の親しい方がご祈願で応援なさいますと良い気を送ることになり更にご利益は大です。お申し込みをお待ちしております。心華寺・金港辯財天、電話0774−44−5380。FAX0774−46−4495。下関・愛宕寺、電話083−222−7404。