身も心も

おはようございます。

幾つ何歳になっても試練はあり、試練と感じなくなれば人生はそこでストップかもしれません。人間的にも成長は止まってしまうのではないでしょうか。
「天がある人に大任を授けようとするときは、必ずまずその人の心身を苦しめ、窮乏の境遇に置き、何をしても思うように事が運ばないような不本意な状況を与えて試練させる」(孟子、告子下篇)
いかがです、孟子の言葉、このような言葉を知っていれば、人生を横道などにそらすはずもないのです。この世はある意味では不合理であり、矛盾ですから、自分の理屈だけでは通るはずもないのです、また道理に沿わない歩みをすれば必ず因果応報の天罰は下ります。このようなことは誰でも知っているのですが、さて現実問題となるとなかなかどうして自分の勝手な考えで美化し己を貶めてしまうのです。
「身も心も」。
自分で自分が越えるハードルを作り出すことのできる人は多くはないでしょうが、優れた人は自分で確かな目標を立て自らハードルを作り出します。誰しも苦しい人生を望んでいるはずもないのですが、苦しみの多くは自分で作っています。
先日も書いていますが、この世は因縁所生です、縁は如何ともし難いもので、であるならば、自分が良縁となるべくどのように人と接すべきかが大切です。「縁欠不生(えんけつふしょう・縁がなければなにごとも成り立たない)」という言葉もあります。
「身も心も縁によって成り立つ」といって過言ではありません。私たちの世界は縁を大切にします。ものが生ずる因とそれを助ける縁も大切にします。因だけでものは成立しません。直接の原因が因であり、間接の原因が縁といわれます。
経典に「人びとの苦しみには原因があり、人びとのさとりには道があるように、すべてのものは、みな縁(条件)によって生まれ、縁によって滅びる」と示されています。
具体的には、「この身も、この心も、縁によって成り立ち、縁によって変わるといわなければなりません。」。
「仏教聖典おしえ 第一章 因縁 第二節不思議なつながり」に「網の目が、互いにつながりあって網の目を作っているように、すべてのものはつながりあってできている」。ということです。
縁というものが成り立っている表面上のことだけでなく、それを支えている多面的なもろもろの要素そのものを縁というのです。
人との出会いも、そこにはさまざまな縁がはたらいています。みえるもの、みえないもの、無数の縁によって出会いが成り立っているのです。しかし、縁は出会いだけではないのです。別離もまた縁です。「つくべき縁あればともない、はなるべき縁があればはなるる」(歎異抄)という言葉もあります。
出会いの縁は喜ぶが、別れの縁などまっぴら、というのは余りにもジコチューなのです。好ましいことも、好ましからぬこともともに縁として受けとめ、、向き合う人生には真の喜びがあり、安らぎがあるのではないでしょうか。しかし、それがわかっていても、ジコチューになるのが人間であることも知っておけば、人様を大切にする気持ち、人様の気持ちを察する人間性を養い、良縁が多くなると私は信じます。
「人生は出会いによって豊になり、別れによって深くなる」という言葉があります。しみじみと味わい、目の前の人に喜び多い出会いであるように日々在りたいと願うのです。
今日から一泊二日で心華寺では本年最後の「M&Uスクール」が開校されます。一年間の学びありがとうございます。総括をして新たなお気持ちで新年をお迎え下さい。私は申し訳ありませんが下関・愛宕寺で厳修します「断食・断水・八千枚護摩供」の為に留守をしております。寒さ対策をしっかりと為しお勉強下さい。
明日22日午後2時から24日午前10時まで三日間、下関・愛宕寺にて「断食・断水・八千枚護摩供(八千本の護摩木を焚き上げる護摩)」を三日間五座奉修します。私自身の煩悩、皆様の煩悩を焼き払い、豊かな人生となす縁で在りたいと願い行じます明日午後2時入行ですお詣り下さい。今日も皆様方が良い一日を過ごせますようお祈り致します。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
「八千枚護摩供」の添え護摩祈願をお勧めします。八千枚護摩供は護摩修法の中の護摩修法です。必ずや皆様方の大願、心願は成就します。一年の煩悩を滅しお祈りください。お申し込みは下関・愛宕寺。083−222ー7404。添え護摩木1本百円。