才能

おはようございます。

心華寺「水子供養祭」おまいりありがとうございます。どんなにか喜ばれたことでしょう。私たちは皆様に代わり毎日お勤めさせていただいていますが、やはり身内の方の手を合わす姿に勝るものはありません。
連日寒い日が続いています、風邪も全国的に流行っています、今日は仕事で明日はまた建国記念の日でお休み、先日の雪で交通機関もズタズタという緊張感が保てないような数日、気を緩めることなく心身の管理をしてください。
寺は休みがありませんので曜日にかかわらず自分で調子、リズムを調えるようにしています。そのためにも毎日の時間割、予定を確かにするようにしています。最近は少し朝はゆっくりしたいな、などと時々思う時もあります、しかし一度ゆっくりしてしまいますと自分の性格がわかっていますので、なし崩しになるのではないかと踏ん切りがつきません、元来が臆病、だから変われない。
人様には「知・仁・勇」の三つが大切だなどと話しはするのですが、いざ自分の事になりますと勇気が出なくなる、意気地がありません。
何もしないで変わる道理もなく、ぼっ〜っとしていても何も変わらず時間だけが過ぎて行くのですから、行動を起こさなければいけないのです。
「才能」。
皆さんはご自分の才能をどのように考えていますか?私は人様と比べて特別なのではなく「自分ができること、楽しいと思うことをすること」が才能だと思っています。ですから私の才能は社会的に評価されるとは考えた事はありません。しかし現実に社会で生かされてきました。何故かなと考えた事があります。
それは「できることしかしてこなかった、楽しいと思うことしかしてこなかった」からだと結論づけました。このように見て、周囲を見渡しますとリーダとなっている方や、起業している人を見ますと多くの人が私のように考えている人が多いのです。
「楽しくなければ続かない」のです。続かなければ「進化もしない」のです。そして中心がありませんと「円周が広がらない・社会が広がらない」のです。世の中のクリエイティブな人を見たり、話しをお聞きしたりしますと「朝起きるのが楽しい」という方が多いのです。
才能を外に求めている人、何か良いことはないかなと考えている人は一日の始まりが楽しくないように見受けますし、感じられます。これでは自分の才能に気づくはずもないのです。
才能を才能と気づいた人は何も特別な人ではなく、「できること、楽しいと思うこと」をやってきたから、「周りのことに対しても興味を抱き、そこから又学び多くの事を吸収し、進化出来た」のではないかと考えています。
今夜は「にんげん学」京都講座「老子を読む」です。京都地区の皆さん会場でお待ちしております。魂の書、意味が解らずとも読めば魂に響くのが古典の良さです。今日も楽しいこと、できることで喜び多い日としましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。



毎月第一日曜日午前10時、京都宇治・心華寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」。24日午前10時、下関・愛宕寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」。縁を幸いとし、福と為す開運護摩法要。お金が満載した船が入って来る金港辯財天。勝ち運が授かる愛宕寺。どうぞおまいりください。