知ること少なく

おはようございます。

今朝は朝寝坊をさせてもらいました。「にんげん学」京都講座「老子を読む」ご出席のみなさんありがとうございます。47章「戸を出(い)でずして(足もとを見よ)」を改めて読み味わいますと老子はやはり凄い、いかに私などは外の世界に惑わされウロウロしてしているか、反省どころか情けない限りです。欲が多い、見栄がある、だから外が気になり、足下を見ておらずドツボにはまる。情けないですね〜。
志が大事と言いながら、遠き慮(おもん)ばかり無ければ、近き憂い有りを地で行っている。
「知ることが少なく」。
外へ外へという意識が「ますます知ることが少なくなってくる」という教え、「心ここに在らざれば死人に同じ」、当にまさにと実感、納得してしまいます。知ろうとして逆にもの知らずになっている。身につけることなく頭で考えてばかりいるようでは迷いの人生ばかり、心を充実させることなど覚束ない。
安心の暮らしを求め知識を得ているつもりが、それが徒(あだ)に、己の中に在る大切なものに気づかない、潜在している能力に気づけない愚か、足下に在るにも関わらず、外の世界に惑わされ、己に求めようともしない。気が散っている、魂を失っている。己に在る物を磨けば光り輝くにも関わらず、気づけない。中心性がない、無い物ねだりをしてウロウロしている人生。
外の世界を見て己に求めることこそ大切。老子は「人を知る者は智、己を知る者は明」と、反省的「自知」を強調。今私に一番必要なことを学ばせてもらえる、ありがたいことです。差別即平等、青い鳥はどこにいる、目の前、足下、脚下照顧。
違いに惑わされるのではなく、違いの素晴らしさに気づき今日も自身の心を豊にしていきましょう。私は私で在ることが幸せです。あたかも今日は建国記念の日、日本が平和であり文化国家であることに感謝し、無い物ねだりをせず自分らしく在り、コツコツと自分を建設しましょう。
こう書きながらも、悩んで、苦しんで、どう生きれば良いのかを考える、煩悩の塊である私も私自身、実は好きです。どうすれば、どうすればと考えることが好きでもあります。悟るのは柄ではないのかも、否、悟ることなどできないのでしょう、私の業です。それはお釈迦様、立派なお坊様にお任せ。
明日午後1時から心華寺「座禅会」自知の要道、静かに瞑想し心豊に在りましょう。私のように騒ぐ心を捨てましょう。護摩の炎と対話すること瞑想で味わう別世界は大好きです。あの恍惚感が不思議なのです、お待ちしております。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。



目の前に春がありました。遠くに探しに行かずとも幸せは足下、吾が心に在りです。



懇親会での「洋食・ぼんじゅーる」さんの今年初めてのメニュー。マスター美味しいお料理今年もよろしくお願いします。ごちそうさまでした。
一品目「和牛のサラダ」。

二品目「カキとカニのフライ、レモン添え」。

三品目「和牛の煮込みハンバーグ、トマトソース」。

四品目「和牛のステーキわさび添え」わさびの味とお肉と天然のお塩のハーモニーが何とも言えませんでした。

毎月第一日曜日午前10時、京都宇治・心華寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」。24日午前10時、下関・愛宕寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」。縁を幸いとし、福と為す開運護摩法要。お金が満載した船が入って来る金港辯財天。勝ち運が授かる愛宕寺。どうぞおまいりください。