聞くこと

おはようございます。

最近頓に師の教えをありがたいと再認識しています。年令のせいですかね、そうかもしれません、また経験を重ねてきたからかもしれません、なるほどなるほどと思えるのです。懐かしいという思いではなく、新たな意欲、力を感じるのを実感するのです。
今夜は「にんげん学」一宮講座、明晩は東京講座。厖大な論語をご一緒に読んでいますが、中身と言いますか、孔子の説いていることは一貫して「仁・忠恕・思いやり」。多くを述べていますが、変わったことを言っているわけではありません。繰り返し、繰り返し説いているだけです。何故かと言いますと、私たちは価値観の違う人と日々出会い世界を広げて行きます。だからこそ目の前の人との応対・対応が大切となります。いわゆる対機説法を親切にも孔子はしてくれたのです。
人は深め広げなければいけないと分かっていてもそれができない。そして対応ができず出会いがあっても対人関係を良い方へ導くことができないでいる。
折角の出会い、一期一会、その一会が一期とならない、長いお付き合いとできない、それは「仁、思いやりがないから」と言っても良いかもしれません。
このような心理を知って手を変え品を変え孔子は同じ事を延々と説いてくれたのです、愛の深さに驚きます。だからこそ読み継がれている永遠の書、人生の宝が無限に詰まっている。私が階段を一段ずつ昇ろうと思うに至った論語の一つ。
「聞く事を恐れる」。
論語、公冶長(こうやちよう)第5、14条「子路、聞くこと有りて、未だ之を行うこと能(あた)わざれば、唯(ただ)聞くこと有らんことを恐る。」。
意は「子路孔子から教えを聞けば、必ずそれを実行しようと志しておった。従って、一つの教えを聞いて、まだその教えをよく実践していない内は、その上に更に新しい教えを聞く事を恐れるという風であった。」。
いかがですか、この条文、私はこの条を読んだとき体中から勇気のみなぎるのを感じました。元来愚鈍の私、なかなか物事を覚えられず、身につけられない、孔子の高弟であり、義侠心の強い子路であってさえ実践出来ないことをこのように恐れていたことを知り、ああ、自分だけではないのだ、後世に名を残している子路でさえ、このような思いをしていたのかと、勇気をいただいたのです。
また子路は「宿諾(しゆくだく)なし」と言われた人。宿諾とは「一旦請け合った事をそのままにしておくことのできない人柄」のこと。人間は安請け合いは行けません、信頼を失う原因を多く作ります。
このような子路ですから、師の教えを聞いては、それを直ちに必ず実行せんと努めたのでしょう、教えを受ける者はこのような思いで行動することが最も大事と考えます。ややもすると師に甘えるのが私、せっかく教えを受けているにも関わらず、右の耳から入ったと思いきや、左の耳から抜けている、ただ話を聞いていて肯いて、分かった風な顔をしている、最悪な弟子、許されることが平気、師の心中を思い計ることもしなかった、今思えば恥ずかし限り。
この条を読み「一つ一つ階段を昇ろう」と決心したことを先日、師のお顔を拝見したおり思い出しました。長年かかりました、師の愛情で見捨てられず、ようやく教えの一端が理解出来たように思えます。師はありがたい、親はありがたい、切磋琢磨出来る朋はありがたい、感謝です。思い悩んでいる方がもしお出ででしたら、自分の成功を目指して他と比べることなく確実に階段を昇ることをお勧めします。
今夜は「にんげん学」一宮講座、明晩は東京講座、両講座共に30分早く始まります気をつけてお出かけください。今日も一つ一つ夢を目指して階段を昇りましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。



毎月第一日曜日午前10時、京都宇治・心華寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」。24日午前10時、下関・愛宕寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」。縁を幸いとし、福と為す開運護摩法要。お金が満載した船が入って来る金港辯財天。勝ち運が授かる愛宕寺。どうぞおまいりください。