訥弁

おはようございます。

思い、言葉を大切にしたいと思っています。幼少の頃より口べただったからです。これは人様に対する押しつけの言葉ではなく、自分の思い、話すこと、発言した言葉に責任を持つという事です。言ったことは行動する。
当たり前のことですが、この当たり前のことが意外と出来ていないのではないかと反省の日々。余りにも言葉を葉っぱのように軽々しく使ってしまっているのではという思い。
「訥弁(とつべん)」。
論語、里仁(りじん)第4、22条「子曰く、古者言(いにしえことば)を之れ出(いだ)さざるは、躬(み)の逮(およ)ばざるを恥ぢてなり。」。意は「孔子言う、昔の人々がやたらな言葉を口にださなかったのは、身の実行が言葉に伴わないことを恥じたからである。」。
調子に乗りますと大言を吐いてしまうことがあります、言葉と行動のズレは信頼を失う大きな原因、用心しなければいけません。大きい夢を持つことは良いのです。
同じく24条に「子曰く、君子は言(ことば)に訥(とつ)にして行(おこない)に敏ならんことを欲す。」。意は「孔子言う、君子たる者は、口は十分に廻らなくとも、実行には敏捷であることを心がける。」。
これは、言葉よりは行動することだ、という教えです。人の上に立つようになる人の多くはこのように行動をします。
人の上に立つ人間に必要な事は、巧い言葉をすらすら言うことではなく、本当に大事なのは俊敏に行動を起こすことだと、教えるのです。孔子は有言不実行はいけない、言葉よりも行動を起こしなさいと説きます。この条を読みなるほどと得心したことを覚えています。男は否男に限らず人間はこうでなければいけません、口は災いの元。
25条には「子曰く、徳は孤(こ)ならず、必ず鄰有(となりあ)り。」。意は「正しい道を実践し続けていれば、孤独を恐れる事なんかないんだ、いずれ、同じ志を持つ人々が集まって助けてくれるはずだから。」。
この教えには勇気をもらいました。私は幼少の頃から不器用で臆病、そして口べたでしたので孤独感を感じていたのです。この条を読んだ後は孤独を恐れず教えに忠実に歩んで来ました、結果今日多くの同志と共に在ることができることに感謝しています。教えはありがたい。今日も教えに沿い夢に向かって歩みます。
私は一生懸命に行きたいと考えてきました。自分の夢に向かい、少しでも人様のお役に立てることが嬉しくもあります。このような行動を取ることを大切に教えてくれた師に感謝するばかりです。無形の宝物をいただきました。叡山下山以来36年心に教えという宝物を抱いてきたような思いがします。誰もお出でいただけなかった時代、ローソクの炎のようにいつも師の教えが灯っていました。言葉が耳の側に響いていました。だから迷わず歩めたのです。
そして私は臆病者だからこそ教えに潔く従い歩んで行きたいと考えてきました。自身にだけは臆病者にはなりたくないのです。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
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毎月第一日曜日午前10時、京都宇治・心華寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」。24日午前10時、下関・愛宕寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」。縁を幸いとし、福と為す開運護摩法要。お金が満載した船が入って来る金港辯財天。勝ち運が授かる愛宕寺。どうぞおまいりください。