そのまんま

おはようございます。

「にんげん学」小倉講座「老子を読む」ご出席の皆さんありがとうございます。お経も一緒にお唱えするのは気持ちのいいことですが心学、古典をご一緒に音読することはまた違った味わいです。
音読は自然に身体に「プリントすること」です。身体にプリントすることで自然に行動となるのです。あらゆる事に無意識に欲に惑わされない対応ができるようになるのがいいですね。長年音読していても楽しんで味わえるのがその証なのでしょう。
「そのまんま」。
お釈迦様はこの世は「苦である」と明言。否楽しい事も有るよと反論が聞こえてきます。老子は陰陽、比較の喜びは真の喜びではない、と説いています。お釈迦様も同じように説きます。
今苦しいから楽を、という生き方は間違いではありませんが、それでは苦しみからは解放されません。ではどう在ることが良いのでしょう?。外的要因での楽しみはやがてなくなり、又同じような苦しみが生じることに気づくことです。気づいても行動出来るかが問題ではあります。
では苦から解放されることは出来ないのでしょうか?。解放されます「そのまんま・ありのままを受け入れ楽しむ」ことで解放されます。あの人と一緒にいると楽しい、あの人とはイヤだ、お金がないから、お金があれば、という比較の世界から自身を解放することです。
比較する感情は誰にでもある感情です。右か左か、有か無かの感情で自分の心を騒がせ苦しむのは辛いですね、まさしく「人生は苦」です。自分の「心の在りようを知ること」で苦から解放され幸せになるのです。
苦とは「思うままにならない」という意味。病気になりたくない、お金が欲しい、出世したい、好かれたい、権力が欲しい、しかし求めるものは思うがままに手に入りません。それが現実。
ではどうすれば、どうあれば幸せになるのでしょう。「あきらめること」です。あきらめるということは「明らめる」ことです。物事を明らかにすることが出来れば幸せになるののです。
どう「明らめる」のかと言いますと、苦しいことが目の前に現実となったら、何で?と疑問を持たず「受け入れること」です。いつも書いていますが、何事も修練、自分の心をコントロールすることができなければ永遠に苦しみの世界でしか生きられないのです。
苦しみが来たれば、それを受け入れ楽しむ、克服しようとすればするほど苦しくなるのです。ジタバタしない。
人生は得られないから、お金がないから、出世できないから、苦しいのでしょうか、病気になったから面白くないのでしょうか、答えは「ノー」。
お金がある故に馬鹿な遊びをして苦しみを生む人がいます、お金がないからお金以外に価値を見いだし楽しんでいる人もいます。一概に無いから、できないから、といって苦しんでいる人ばかりとは言えないのです。有るから幸せ、無いから不幸せとは言えません。
比べることの世界で幸せを願うから苦しむということを「明らかかにする、明らめる」ことで楽しむ人生が現実化します。そのまんまで不足を思わず全てを受け入れれば幸せなのです。幸せとはそういうものです今日も楽しく過ごしましょう皆さん。
明晩は「にんげん学」神戸講座「論語を読む」です。孔子は見返りを願わない人への思いやり「仁」だけを思いなさい、それが幸せですよ、と明言しました。いいですねこのような在り方。そうは思いませんか皆さんは。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
お多幸さん、季節の「てっちり」ごちそうさまでした。


浅蜊の酒蒸し最高でした。


雑炊ふくの味がしみ美味しかったですね。

Tさんと私の誕生をお祝いいただきました、皆さんありがとうございます。


毎月第一日曜日午前10時、京都宇治・心華寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」。24日午前10時、下関・愛宕寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」。縁を幸いとし、福と為す開運護摩法要。お金が満載した船が入って来る金港辯財天。勝ち運が授かる愛宕寺。どうぞおまいりください。