差別即平等

おはようございます。

今朝は福井におります。午前中に講演をして、その後神戸に移動今夜は「にんげん学」神戸講座「論語を読む」、今日から会場が変わりますのでお間違いのありませんように、お世話を下さる大塚さん、もしくは西山さんにお尋ねください。時間は18時半受付、19時開始です、会場でお待ちしております。
「差別即平等」。
心華寺では年間述べ一万人の研修生の方が入山くださいます。講演も年間20回ほど招かれます。何でこんなに来ていただけるようになったのかを考えても分かりません。分かっていることは「分相応に生きる」という私自身の生き様です。
先日終わりました冬季オリンピックを見ても分かりますように、競技は順位が明らかとなります。しかしあの順位が生涯の順位でしょうか?、あの順位はその時の順位だと私は思っています。たまたま、です。表彰台に上った選手と上れなかった選手、どちらが多いのでしょう、もちろん上れなかった選手です。
上の言葉は「差別が即平等である」という意味。「ちがってあたりまえ」という意味です。どうですか、こんな風に考えられますか、思うことができますか、思うことが出来れば楽しい人生となります。
私は講演でも研修でも「出来ることを伸ばそう・広げよう」と話します。法華経に「薬草の譬え」という話しがあります。「森にはさまざまな大小の植物があります。雨が降ります。大きな木は沢山の水を吸います。小さな草はそれなりの量の水を吸って育ちます。もしも、小さな草が大きな木と同じ量の水をもらう権利がある、と言って大量の水を吸い込んだらたちまち根腐れをおこしてしまいます。」。
こんな話しです。わが身に見合った量の水をもらって、それぞれが立派に育つのです。こういう違いがあってこそ本当の平等と言えます。
豊かな人を見て羨み、同じように生活できると借金して破滅にいたる人がいます。同じように仕事が出来ると背伸びして挫折する人もいます。分を知る、足るを知る、差別即平等という平等観を私たち一人一人が持てば、分不相応な思いをする人も少なくなると思うのは私の独り善がりでしょうか。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。



京都駅ホームで福井へ行く電車待ちの時楽しい回送電車が入って来ました。




毎月第一日曜日午前10時、京都宇治・心華寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」。24日午前10時、下関・愛宕寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」。縁を幸いとし、福と為す開運護摩法要。お金が満載した船が入って来る金港辯財天。勝ち運が授かる愛宕寺。どうぞおまいりください。