やめない

おはようございます。

「にんげん学」神戸講座ご出席の皆さんありがとうございます。今朝はゆっくり目覚めさせて貰いました。数日移動が続いていたせいかもしれません。
昨日福井で講演にお招きいただきご清聴くださいました皆さんありがとうございます。皆様のご活躍をお祈りします。
今月も今日で終わります、ご愛読ありがとうございます。いろいろありましたが毎日書き続けることができましたお陰様です。
お天道様のように毎日力を尽くし勤めることがありますので、いろいろなことがあったとしてもめげることもなく己を見失うことがないことに感謝しています。お勤めとはよくいったものです。今の仕事があるということに感謝をして勤めれば、そこからさまざまな発想、気づきもいただきます。そして何よりも素晴らしい人との出会いが嬉しい事です。
いくら偉そうに言ったとしても、自分の力を発揮できるのは「仕事が用意されていたからこそ」でありましょう、先人の恩恵です。そこに不足など言っては罰が当たります。また不足を言っているような人は夢の実現等は到底叶うはずもないのです。
いつも書いていますように足下の一歩から夢が通じています。足下、今立っている場所、仕事に感謝出来ないようでは何をか況んや、あなたを認めることなどはないのです。
人を認めない、人様に感謝出来ないようではいけません、人様や世間様は己を映す鏡だからです。感謝のないあなたの行動は決して人様という鏡に美しく映ってはいないはずです。
「やめない」。
長い人生イヤなこと不満を感じることもあります。そんな中でイヤなことや不満をただ単にイヤなこととして、不満をそのままにしながら延々と暮らし不満の人生を送るのか、
今自分が感じているイヤなことや不満は誰しもが感じているのだから解決するにはどうすればいいのかと工夫の種にする人生と為すのかではその後の人生に大きな違いとなって現れます。
論語、子罕(しかん)第9、19条「子曰く、譬(たと)えば山を為(つく)るが如し。未(いま)だ一簣(いっき)を成(な)さざるも、止(や)むは吾が止む也。譬えば地を平らかにするが如(ごと)し。一簣を覆(おお)うと雖(いえど)も、進は吾が往(ゆ)く也。」
意は「孔子言う、人が学を修(おさ)め徳を積んで行く姿は、たとえば土を盛(も)り上げて山を造(つく)るようなものである。いま一簣(いつき)(一もっこ)の土を積み重ねれば山が出来ると言うところで仕事を中止したとすれば、それは自分が止(や)めたのであって、その止めた責任は己自身にある。又たとえれば、でこぼこの土地を平らにならすようなものでもある。くぼんだ土地に僅(わず)か一もっこでも土をくつがえせば、それだけその仕事に進んだことであって、この場合も、自分自身の意志によって進んだのである。」
要するに、退(しりぞ)くも進むも己自身の意志により、人の意志によるのではないと教えるのです。従って学を修め徳を積む工夫は、自分の責任としてなすべきであるという戒(いまし)めです。人間自分の為と思ったら苦しいことをそのままにしておられません、いかがですか皆さんは、その苦しみを解決することで人様の喜びにもなる。
事上磨練、現実に問題と感じた事を義侠心を起こし発憤材料として工夫改良できる私たちでありましょう。自分の苦しみが社会の役に立つと考えただけで愉快になります、いかがですか、このような考え?。2月のご愛読ありがとうございます。今日も力一杯悔いなく一ヶ月の締めとしましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。



毎月第一日曜日午前10時、京都宇治・心華寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」。24日午前10時、下関・愛宕寺「月例・幸福開運護摩祈願祭」。縁を幸いとし、福と為す開運護摩法要。お金が満載した船が入って来る金港辯財天。勝ち運が授かる愛宕寺。どうぞおまいりください。