混沌だからこそ

おはようございます。

「にんげん学」小倉講座ご出席のみなさんありがとうございます。来月も26日お会いしましょう。孔子論語は身近な秩序の道を説き、老子は道そのものを説き万人に勇気をもたらしました。人生の幸、不幸は出身校や成績、派閥で決まるのではなく、道に沿って歩めば万人が必ず大いなる幸せの人生を送ることを明言してしてくれたことに、社会の中でともすれば成績や上下関係で悩んだ私に光明をもたらしてくれました。
こうでなければいけないという固定観念、束縛からの解放。私たちの目にする世界はすべて道に従ってこそ存在するのだという老子の教え、そこに目覚めよ、目にする世界に惑わされるなと喝破。
成績優秀でなければ、良い学校を出ていなければ、楽しい人生を送れないという思いは妄想だというのです。そんなことに心を奪われずに道に従え、人と争わずに道を歩め、水の柔軟性に学べというのです。
いつの時代でも繰り返されるのがこの世の習い、道から万物が生じ、道によって滅すというのが老子の教え。私たち人間を含む万物は生滅変化を繰り返す有限の存在。道は万物の生滅と変化を超えて悠久であり無限です。
有限の存在である私たちが、悠久無限な実在であるこの道に根源的な目ざめをもつことで、形なき形をじっと見すえ、声なき声にじっと耳をすますとき、何かしら私が本来どのような存在であるのかが感じられるように思えてくるのです。
そこで何を為していけばよいのか、私が本当の意味で生きるということはということが感じられたのです。
そうだ、愚鈍なままで堂々と生きるのが私の使命なのだと気づかされたのです。進化は時を経て段階を経る道の存在があるからできるのです。私は私の使命の中で愚鈍のままでポストにベストを尽くす生き方をしようと、私の形から必ず真の形を見てくれる人が出てくることを信じ、声なき声を聞いてくれる人の出現を信じ、恍惚(こうこつ)、混沌(こんとん)の中に道があるのだと、凡人には計り知れない中に道の存在が在るのだと老子は親切に説いてくれました。であるならば道が何ものかを理解できずとも、誠意を以てポストにベストを尽くす中で使命を果たそうと感じ受けとめています。私のそんな歩みを手がかりとして使命感に目覚める人の出る事を信じられるのです。そして手がかりとした人の進化が在る。昨日学びました老子21章。
「大いなる徳ある人の容(すがた)は、ただ道にこそ従っている。
そもそも道という実在は、ただ仄暗(ほのぐら)く定かならず、
定かならず仄暗い中にも何やら象(かたち)があり、
仄暗く定かならぬ中にも何ものかが実在している。
奥深く幽(かす)かな中に霊妙な精気がこもり、
その精気はこの上なく真実で、その中に創造者としての明証がある。
それは昔から今に至るまで、変わることなく道とよばれて、
いうなれば、あまたの族長たちを統べる本家の総領。
族長たちの実状が、どうしてわたしに分かるのかといえば、
それは総領である道によってわかるのだ。」
難しい表現ですが、何となくわかります、老子独特の表現、何度も何度も繰り返し読み味わえば体の中で理解できます。道は混沌、恍惚だからこそ、それを理解出来る人が私の形、行動を見て生かしてくださっているのだと確信するのです。
今日をイキイキと楽しく悦びを以て過ごしましょう。老子はその悦びにこそ大いなるチャンスがもたらされる、今を悦ぶ者にチャンスを目の前にもたらすのが道だと言っているのです。意味は深く理解できていない私ですが、いろいろなステージをいただいていることは事実です。それが道のもたらす力です。力が働いたからこそ人様が私にステージを働く場を与えて下されたのです。
今夜は「にんげん学」神戸講座、形が明快な学びです。ここにも道があります。会場でお会いしましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
お多幸さんの昨夜のごちそうです。マスター毎回工夫をいただきありがとうございます。





ご飯の上におでんの豆腐がのっています、不思議な味でした。

Uさんお誕生日おめでとうございます。




いよいよ停滞していたNPO活動が再開します。その手始めに「3Dプリンター教室」を心華寺で開校します。今日その3Dプリンターがはいりました。7月の開校に向け着実に準備をしております。

右側が石膏の3Dプリンター。左側が樹脂の3Dプリンターです。皆さん是非技術を習得にお出でください。あなたの技術と知識が生かされます。心華寺にご連絡ください。