執着せず

おはようございます。

良いことであれ、悪いことであれ、執着、とらわれはよくありません、すべてに停滞を起こします。私は元来不器用な人間ですので、決めたことをやろうとする傾向があり、それがかえって邪魔をしていると感じるときがあります。また弟子達に教えを押しつけてしまう傾向が強くなることがあり、一方的になって結局は良いことが悪いことになってしまっているのではないか?と反省するときが多多あります。いわゆる柔軟性を失っている。
自我にとらわれるのは良くないことを知っているつもりなのだが、いつしか忘れてしまう。故に好き嫌いにとらわれ悩みを多くしているようです。
論語、子罕(しかん)第9、4条「子(し)、四(し)を絶つ。意毋(いな)く、必毋(ひつな)く、固毋(こな)く、我毋(がな)し。」。
意は「先生には、次の四つのことが決してなかった。自分の私意で勝手にやる「意」がなく、なんでもあらかじめ決めたとおりにやろうとうする「必」がなく、一つのことに固執する「固」がなく、利己的になって我を張る「我」がない。」
いかがです、憧れるでしょう、こんな風に在ることができればと常々工夫しているのですが、目的を達するために学んでいるにも関わらず、何かにぶつかるのは、問題があったからぶつかっているにも関わらず、自分を棚上げにして、人にぶつかっている、それは良くないぞ、孔子は教えているのです。
自分のことであればいいのですが、人様と対したときに押し付けるようであってはならず、せっかく学びをやっていながら押しつけは、相手を否定していることですので、かえって反発を食らうのが目に見えています。
自分の決めつけで狭い殻の中に閉じこもり、人の意見や生き方を聞き入れないようではダメだと孔子は教えるのです。
人様に不平や不満を感じたときつくづくと己の狭い心、柔軟性のなさにあきれるときがあります。
過てば、改めるに憚ることなかれ、です。何かに衝突したら柔軟に素直に方向を変え前進すべきなのです。易経にも「窮まれば変ず、変ずれば通ず、通ずれば久し」ともあります。衝突もアドバイスと受けとめなければと思うところです。年を重ね体は硬くなってきていますが、心は常に柔軟に保ちたなければと明るく今日も前向きに歩みます。皆さんも何かにぶつかったら、目標を忘れず素直に方法を変えてみましょう。
悩みや苦悩は時と場所を弁えずに湧き出て来ます。それと同様に学びは時と場所を選ばなくともいつでも頭の中で、さまざまな心訓、教訓の言葉を諳んじ心を練り上げることは出来るのです。
ですから学びを止めてはいけないのです。どちらが頭の中を占めるのかは、自身の問題であることは間違いがありません。今日も良い思いをして過ごしましょう。善い一日でありますようお祈り致します。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
小さい木々や花々にも勇気をもらいますが、この楠の成長には毎日希望をもらっています。

根をしっかり大地に。

心華寺におまいりいただくとき、この楠を目指してきてくださいとお伝えしています。