近づく

おはようございます。

人間は自分を省みることのできる唯一の動物かも?しれません、猿でも反省はするか?。逆に言いますと、自分のことを反省しない人は、まだ人間と呼ぶことはできないのではないでしょうか。人間となるにはやはり「恥を知る」ことで人間になると考えています。
恥を知るということは「自分を修めることができる」ということでもあります、自分を修めることもできずに、他者を云々は?ですよね、皆さんはどう思いますか?。
「中庸(ちゆうよう)」に「学を好むは知に近く、力(つと)めて行うは仁に近く、恥を知るは勇に近し」(中庸15章)。
恥を知る者が勇者に近いというのです。自分を責める良心のある者だけが、他人に対しても毅然とした態度をとることができるのだと孔子は教えます。(毅然とした態度をとるということは、人を責め批判することではありません、間違いのないように)。
意は「人が学を好んでもの事の理に精通しないところがないのは、本来の知者そのものだとは謂(い)えないまでも、それに近い状態だし、
何事によらず聞き放しにしないで、五体を働かせて実践にいそしむというのは、本来の仁者そのものだとは謂えないまでも、それに近い状態だし、
わが知るところ、わが行う所の他人に及ばないのを自覚して心に恥じ入ることのできるのは、本来の勇者そのものだとは謂えないまでも、それに近い状態であると思われる。」。
私たちが何かを知りたい、得たいと思っていて、それが実現せず、堂々巡りをして社会や人を非難ばかりして愚痴る人生と化すのは、「自らを是なりとして恥じることを知らず、知ることを求めず、自らを私して、人欲に侵されている故」ではないでしょうか。
自省、自律出来ない者が生涯、愚痴をこぼし、己の責任を他に転化するというような迷い道を歩むようになるのです。
学を好む者は知者とは言えずとも「愚を破ることが叶い」、力行する者を仁者とは言わずとも「私を忘るるに足り、人の為に尽くし」、恥を知る者は勇者に非ずとも「怠け者にならない」と孔子は教えているのです。この教えを知ったときは目の前が開けた気持ちになりました。
知者になれずとも、仁者になれずとも、勇者になれずとも、日々知ること、人を思いやること、恥を知ることで人間らしく在ることができるのですから、ありがたいことです。
勇気とは外に向けて発揮するのではなく、己に向けることだと明言した孔子は流石ですね、自分を正すことに勇気を発揮しましょう皆さん。さて今日はどのような楽しい事に出会えるのでしょうか?。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
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