祈り

おはようございます。

先日京都のIさんの事務所のお別れ会に出席、昨日は新しい事務所の「お祓い」に、先の事務所ではお別れ会の前に「感謝の祈り」をし、新旧共に祈りを捧げる、とても大切な行動です。
謙恭の心、感謝の心、お陰への心を表す行動がなければ、人としての「けじめ」がつきません。
何故祈るのか、何故感謝なのか、何故謙恭なのかといいますと、宇宙自然は人力では如何ともし難いものだという事実を理性で認める人が祈ることが出来るのです。宇宙を私しない。私たちはただたんに神頼みをしているわけではなく、畏敬の念を以て祈るのです。万物は宇宙が創り、私たち人間がその恩恵に与っています。
そこに畏敬の念を抱かない人は繁栄も又思想の継続もならず、結局は自ずから人生の行く末を断ち切っているようなものです。
私たちの精神は二つの相対的傾向があります。一つは理想への仰慕(ぎようぼ)であり、そこから生じます自己反省です。理想(大我)に自己(小我)を没入して自己を生かそうとする精神が本来の精神です。
自然は時折破壊を創造の原点とします(天災)。それを私たちの精神が人として「何とかしなければという心が仰慕」であり、そこに自己反省し「人として、人間として、どうあるべきか、どのように自然と対していくべきか」が祈りの行動となり、謙恭の行動となり、感謝、お陰の行動となるのです。
祈りを確かにする人は己に厳しく修養に励み、自己を高み理想へと進めさせるべく日々実践します。無私故に自然の運行と共に在り結果繁栄に結びついて行くこととなるのです。自然の世界への畏敬は人事にも尊敬の念で当たります。一歩を譲る行動は人様を認めることであり、好感度が上がることは当然の帰結でもあります。自然の運行を離れて人事は成り立たないのです。
理知的であるからこそ人情も豊になり慈悲深く在ることができるです。万物を育むという豊かな自然の慈悲を人の道に生かせる人が祈るのです。情理に厚い人が繁栄するのが摂理です。今朝もお天道様が頭を照らして下されています、先ずお日様から拝むことで一日をスタートしましょう。今日も善い一日で在りますよう。
研修で東京から入山されます皆さん気をつけてお出かけ下さい。心してお待ちしております。ご一緒に磨き合いましょう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
※お子様の事で悩んでいたり、苦しいことがありましたら是非お一人で悩まずにお電話下さい。お話しするだけでも随分と違ってきます。0774-44-5380へどうぞ。
昨日近鉄伊勢田駅から電車に乗ろうと思ったとき遮断機で足止めされて気づきました、植木鉢に植えられたザクロです。


今朝の朝焼け。手を合わせました。