私心を捨てて

おはようごいざいます。

今朝は久しぶりに朝寝坊をさせてもらいました。目が開かなかったということは疲れていたのでしょうね、朝一番でおたずねくださる皆さん、すみませんでした。
「にんげん学」神戸講座ご出席の皆さんありがとうございます。ご一緒の音読はやはりいいですね、昨夜、一昨夜と連続での勉強会、心学を読むことで心が清められます。己の心の狭さが幾分かでも広くなったような気もしますし、豊かにしなければいけないと改めて思う所です。何かに引っかかったところが心の貧しさととらえ学び直しましょう。
Kさんお嬢さんとおそろいでご出席ありがとうございます。皆様に勇気を与えます、これからもご一緒ください。
昨夜から学友が増えました。同士、仲間が増えることは素直にうれしいことです。いろいろな方から学ぶ姿勢を学ぶことができます。心の豊かさは自分でなかなか実感できるというものではなく、第三者がその人を見て感じるものではないでしょうか、人様と接し、ああこのような人になりたいな〜と多く思える自分でありたいものだと思っています。
人生私心が多ければ多いほど、利害得失を気にするように思えます。心がそのようでありますと、利己的な思考行動となり、周囲の様子をうかがい、隠れるように動き回るようになるのではないでしょうか。
このように自覚しているかどうかはわかりませんが、私心の多くする人は、人を疑い深い目で見るようになります。疑念と不信感が渦巻くようにもなります。私心とは人を見る目を損ないますのでくれぐれも注意しなければいけません。
人様を見るときの自分がこのようになったとき、ああ私心で見ていると注意をするようにしています。
一緒に勉強するということを言っていながら、それを私心にしてしまい、何でわからないのという気持ちがわいて、人を疑ってしまうことをしばしばしています。愚かなことです。
心学を学んでいなければと考えますとぞっ〜っとしてしまいます。いつもいつも未熟を思い知らされます。私心とは私利私欲です。
私利私欲にまみれた者の人間関係は殺伐としたものになるでしょう。友人に愛想をつかされ、大切な人にも同様です。また同僚からは冷たく扱われ、親族からも見放されてしまいます。私心は孤独感に苛まれながら暮らすはめになるのです。
逆に「私心がなければ、天地に受け入れられ」「良心に恥じることがなければ、恐れるものは何もない」のです。そして心の安心が得られ、利害得失で己を見失うような事が少なくなるのです。今日も私心を押さえて歩みましょう。
今日から明日の夕方まで「M&Uスクール」が心華寺で開校します。参加者の皆さんお気をつけてお出かけください。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
世界一長橋、明石大橋を見学してきました。






お花と私へどうぞと出して下されたスイカ、Nさんおいしいスイカでした。

出席者の皆さんへのお茶のセット。Nさんの心が表れています、いつもありがとうございます。