おまいりとお手伝い

おはようごいざいます。

「にんげん学」東京講座ご出席の皆さんありがとうございます。東京駅に着いた頃は小降りの雨、上野公園内東京国立博物館で開催されています特別展「台北国立故宮博物院ー神品至宝ー」を「ぶら和尚」で見に行ってきました。素晴らしいの一言と、疲れたの一言でした。あまりの歴史のすごさに圧倒されました。
勉強会は月一度ですが、あっという間に7月講座も終え、慌てていませんが、何か忘れ物は無いかなと考えてしまいます臆病な私です。仙台のBさん今月も遠路ご出席ありがとうございます。
帰りましたら明日の法要の準備、3Dプリンター教室のお披露目の準備が待っています。とは言いましてもお手伝いの皆さんが大勢おいでですので私は邪魔をするだけかもしれません。
このようなことを書きますと手前味噌、手前勝手のように受け止められかねませんが敢えて書きます。寺に限らずいろいろな場面で縁があればお手伝いお世話をすべきだと私は考えています。なぜかと申しますと、新たな自分との出会い、気づきを多くするからです。また人のお世話をすることで人間性も器量も豊かにするからです。決められた社会の中ばかりでは無く、様々な人が集まってくるのが寺です。いろいろな方からいろいろなことを学ぶことが出来る素晴らしさがあるのです。
人生は結局の所どれだけ人様のお世話をさせていただいたかでその人の人間的価値が高められるのではないかとも考えます。人様のお世話をする、お手伝いをいするということは大変なことです。いろいろな価値観を持つ不特定多数の方々の力や能力を集約し発揮していただくのですから。
このような事は会社ではなかなかに経験することはできません。しかし会社でも価値観の違う同僚仲間と仕事を一緒にするという点では同じ事です。会社では上下、同僚の区別は確かですが、寺では皆さんを敬いお世話をします。だからこそ、滅多に会わない人と一緒にお世話をしたとしても、譲り合いながらも積極的にお手伝いを進めていきますので、事がなっていくのです。
この「どなたにも尊敬の念で接する、譲る」という「徳」が実社会の中で自然に発揮され、上下云々、この仕事は誰々の仕事など、細かいことにこだわらず、サポート出来る、フォローできる自分が自然身につくのです。
このような行動が出来る人を社会は放ってはおきません、必ずや役立てるようにその人を見るようになるのです。人格でも何でも同じですが、多くの人のお世話をさせていただくことで磨かれていくのです。どうぞ今日からでもお手伝いにお出かけください。よろしくお願いします。笑顔で多くの人のお手伝いができるように在りたいですね。今日も素晴らしい一日でありますよう。
明日は「比叡山から幸せの風が吹いてきます」どうぞご家族でお参りの上「転禍為福(禍転じて福と為す)」法要の風に当たり、「経本加持」を受けてください。守護のパワーに守られます。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
窓に書かれているパンダに誘われてレストランへ


トレイにも

台北故宮博物院ー神品至宝ー展を見てきました。

入館の行列、翠玉白菜を鑑賞するには2時間半。