感じるもの

おはようございます。

昨日はこの夏一番の暑さだったのかもしれません、大型台風のせいもあるのかもしれません、被害のでないことを祈ります。蝉の声も少しずつですが増えてきました。蝉の声を聞きますと何故か子どもの頃を思い出します。余り良い思いではないのですが、懐かしさはあります。そしてああ、あの悔しさがあったから今があるのかな?とも。悔しさとは言っても恨み辛みではなく、やはり懐かしいといった感じです。時折降る強い夕立(昼に降るのに夕立とはこれ如何に?)にも夏らしさを感じます。
私は知識(いわゆる学校の勉強)とすることが苦手でした。今日素晴らしい人様と多くめぐり会えたことは何でかな?と考えたとき、「幸せを感じていた」からかな?と思っています。
幸せとはなるものではなく、「感じるものだ」とあるとき思ったのです。幸せという世界に到達しなければ幸せになれないのではなく、また幸せという実体があるのでもなく、心の中で感じるのが幸せだと思っています。
不幸せと思っている人も同じではないでしょうか。不幸を歎き相談に来られる方に不幸を私の目の前に出して見せて下さいとお願いしますと、言葉で言うだけで、不幸せそのものを出すということはどなたも出来ません。言うのは不平と不満と、悪口です。これらのことは全部外の世界のことです。ですからどうしようもない故に愚痴となるのです。
身近な幸せを多く感じ歩んで来たことで沢山の幸せを感じ、それが積み重なり多くの人様と共に幸せを分かち合い悦びを実感しています。
今日からF社様の本年度新入社員の皆様の配属前研修が一泊二日で行われます。皆さんにも幸・不幸は感じるものというお話をさせていただければと思っています。入社されて三ヶ月、一通りの仕事を体感し、経験した中でさまざまな感じをお持ちのことでしょう。
感じ方から人生を豊にすることができますように、「感じる」ことの大事、素晴らしさを知って欲しいと願っています。
私の感じることの幸せの一つに、力ある者は、力の弱い者、困ってる者を支えるということがあります。人様と共に生きるという幸せを感じるときでもあります。上ばかり見て悩み苦しんで時ばかりを多く費やした記憶があります。
私の力でもお役に立てる、出来ることがあることを感じたとき幸せとは感じることだと思えたのです。そのようなとき同志、仲間が増えたような気がします。そして助けて貰ったと感じたら後で黙ってお返しをする、自分より弱い人や困っている人にお返しする、それが人間ではないでしょうか。
私が不幸と感じていたときは、自分だけのことしか考えていなかったように思います。周囲を見渡せば困ったり、苦しんだり、助けを求めている人が大勢いるにもかかわらず。
感じた事で出来ることにも、幸せにも、喜びにも、生きがいという使命感にも目覚めさせて貰ったようです。それは私しかできないという自由な使命感でもあります。皆さんにも皆さんの素晴らしい使命があるはずです。それは自分で感じとるものではないでしょうか。
皆様も幸せとは、なるものではなく、感じるもの、ということを再認識していただき素晴らしい今日を感じてお過ごし下さい。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。
※お子様の事で悩んでいたり、苦しいことがありましたら是非お一人で悩まずにお電話下さい。お話しするだけでも随分と違ってきます。0774-44-5380へどうぞ。