おまかせ

おはようごいざいます。

愛宕寺「盆・施餓鬼法要」雨の中、又お暑い中おまいりありがとうございます。法要後も沢山の方に後片付けをご奉仕いただき感謝いたします。皆様の功徳は必ずや天の宝庫に蔵され、素晴らしいチャンスのときはお加護がもたらされます、ありがとうございます。
全国から「施餓鬼供養」をお寄せいただきました皆様確かに厳修させていただきました。ありがとうございます。今後とも厚くご先祖様を敬いください。
祈りはほんとうにいいものです。何故いいのかともうしますと、日々「ふつう」に「安心」して暮らすことの楽しみを知るからです。
私も最初は正直言いまして何かを得るために修行、祈っていました。しかしあるときから、そのような思いが無くなったのです。思いが無くなったからといってご利益が無いかと言えば、逆に多くのご利益をいただけるようになったのですから不思議です。
それは「おまかせ」の心を確かにしたからです。下関に帰るとき、宇治に帰るとき、私はどこにでも行くのではなく帰るのです。
祈りも母親の懐に帰るような安心感。帰るために新幹線に乗ります。乗った車中で、本当に着くかな?どうかな?などと心配して乗っていません、心配どころかZzz〜と休んだり、本を読んだりと車中で安心し楽しんでいます。祈りの道も新幹線に乗るのと同じです。
祈りを徹底し感じて得たことは「お任せ」することで得た「心の自由」です。日々安心して「ふつうに平常心」で暮らせることです。そうしますと自然自分にも人様にもどなたにでも優しくなれるのです。そんな心境が良寛さんの詩があります。
「花は無心にして蝶を招き
蝶は無心にして花を尋ね
花開くとき 蝶きたり
蝶きたるとき 花開く
われまた人を知らず
人またわれを知らず
知らずして帝則に従う」。
このような素晴らしい詩があります。良寛さんの境地にはほど遠いですが、私の気持ちを言い表しているように思える詩です。自分が自分であればいいということに気づかされ自由になりました。ポストにベストです。
成功するかな?、失敗しないかな?などと二元的にものを考えなくなりました。ぶれていたのでは心が「ふつうになれません。平常心を保てません」、いつも「おどおど、びくびく、プレッシャー」です。何のために学んだり、修練したりしているかわかったものではありません。
「そうではないでしょう」、とあるとき私は目覚めさせられました、祈りも学びも生涯豊かに暮らすため続けるもの、自分の心身を磨くもの、褒められたり、認められたりするためでは無い、ということに祈っているとき気づかされたのです。
失敗したら又やり直す、成功したら又学ぶ、その世界に安心して止まる人生です。これが私の「ふつう」であり、「おまかせ」の在り方。本の読み方であれ、計算の仕方であれ、先人の編み出してくれた法則、それに従えばこそ様々な問題が解決され、新たな気づきや楽しみも授かったのです。「おまかせ」は未来の希望です。
人生をもし豊かにありたいと真実願うならあまり突飛なことを考えず当たり前に暮らした方がいいのです。特別なことをして豊かになれる人は少ないのです。普通の人間である私は当たり前に、そして「これだ」と感じた道に沿い「お任せ」する人生が分相応にゆたかになれることを実感しています。
そんな風に感じたときいろいろな方が道連れになってくれたようです。蝶々が花にとまるように。自分が自分に懸命になり自分の心を外の世界に奪われなくなったときだったようにも感じています。明後日は「にんげん学」一宮講座、その翌日は東京講座。心の中に潜在している素晴らしい心に目覚める心学をご一緒ください。今日も良いことがありますように。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。