自縛をやめる

おはようございます。

お盆休みも終え8月の後半、休み明けにはいつも書きますが、お仕事張り切りすぎないように「急いては事をし損じる」とか申します。
し損じる人の中に、名声を求めたり、評価を欲しがったりする人が多くあるように感じます。人の苦や悩みが何で起きるかと申しますと、「こうなければいけない」という「自縛」からです。悩みは自分で作っています。この「呪縛から解放されることが人生を楽しくできる」のです。
明日は「にんげん学」大阪講座「老子を読む」。老子は「道に従い楽しく歩みましょう」と説く。道を「水」に譬えます。水は流れるところにしか流れません。何かにぶつかれば「方向を変えろ」と教え「不争」を説きます。不争を説いたからといって「主張するな」と言っているのではありません。方向を変えることは目標を変えるということではなく、争ってそこに止まるな、目標を見失うなといっているのです。
さまざまな出来事に直面したら自然界の生物は逆らわないでしょう、しかし「生長も止めない」、そこに「目覚めよ」と教える。「タオ」を生きると「絶対自由の境地に近づくぞ」と、そして楽しく歩める。
失敗や挫折を重ねながら人生はゴールに近づくのです。衝突時に人を恨んだり、人と争ったり、拗ねたりせずに、道を歩めばその先には素晴らしいゴールがあるんだぞと老子は教えています。このような観念になれば、苦労も苦労ではなくなり、ワクワクするくらい、おもしろい人生となります。ハラハラドキドキするから後になれば良い思い出となるのです。良い思い出とするには歩み続けることです。
苦境こそ自分を高めるチャンスと捉え、感謝するようになります。いつも書いていますが、私はさまざまな現実に直面し自分を鍛えることが出来ました。このように「タオ」を生きていますと、障害や苦境に直面したとき「何で?」という疑問、人への不信感が湧いてこないのです。きれいな富士のお山でも雲がかかる。
タオに出会う前私は「水神信仰」に出会いました。水の柔軟性、「雨だれは石をも穿(うが)つ」という言葉があります。水の滴(しずく)がポトンポトンと石の上に落ちると、それは本当にわずかな力だけど、長い間には岩に穴をあけることだってできる。そういうことを言っています。
また「無有(むゆう)にして無間(むかん)に入る」という言葉もあります。カタチがなければ(こうでなければと思わなければ)、「隙間がないところにだって入っていける」、という意味です。隙間(すきま)がなくたって、水は滲(し)みていくのです。そのくらい水には入れないところはないのです。「道」を歩めば達せられないことはないのです。老子は「無為(むい)の益有(えきあ)るを知る」としてます。小賢しい知識で諍いを起こさず、我を張らず、争うことなく志を歩めば、益を多くしてしまうのです。明晩は「にんげん学」大阪講座「老子を読む」会場でお待ちしております。講座前に「ぶら和尚」があります。こちらへのご参加もお待ちしております。皆さんの手作りのお弁当が楽しみです。
今日も無心に楽しく過ごしましょう。自分で作った呪縛を解放しましょう。素晴らしい一週間でありますことをお祈り致します。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
 私たちは東日本大震災の復興を祈り応援します。