士気

おはようございます。

今朝の冷たさに受け月の三日月がきれいです、思わず手を合わせました。感謝の思いが頭の中をよぎり、ふと師匠に頭を打たれたとき、指導を受けたときの一つに「高慢になったとき」のことを思い出しました。
人は人に教えられていながら、できるようになりますとあたかも自分一人でできたかのような、己の才能のような錯覚といいますか、思い違いを起こすのが私でもあります。
少し成功すると、誇りが傲慢に変わってしまうのです。出来るようになればなるほど「実れば稔るほど頭を垂れる稲穂かな」「謙虚」さは一番の美徳であることを忘れてしまうのです。
「士気を尊び、傲気(ごうき)を捨てる」大切さを呂新吾(りよしんご)が「呻吟語」の中で述べています。
「人として、士気は必要だが、傲気はあってはならない。
士気とは意気込みのことであり、これがあると分別をわきまえ、正道に即して本心に逆らって迎合することはない。
傲気とは高慢のことであり、これがあると上下のけじめをわきまえず、高位を望んで、今の職責を全うしない。
自分本位の者は驕り高ぶることが士気だと思い、士気のある者に対しては傲岸(ごうがん)だと見なす。なんとも悲しいことではないか。
このように、士気が備わっていれば、謙虚な態度で人と接することができる。傲気にこりかたまれば、暗澹(あんたん)たる気持ちのときに人に助けを求めても誰も相手にしてくれないであろう。」
読みますと、胸にこたえませんか、箴言(しんげん)とは自分に向けられた刃のようです。心をえぐられます。だから良いのです。
いつも書きますが、私たちは教えに従って何事も知識とでき、技術も高められ、仕事も立場も与えられた事を忘れてはなりません。しかし感謝という行為行動がどのようなものかを知りませんと、いつしか傲気、高慢という病に冒されてしまうのです。
知識、技術を持っていながらそれを生かせない、生かしていない人があります。このような人の多くが「傲気、傲岸、高慢」という病に冒されているのです。くれぐれも私たちは用心すべきです。
なぜ能力があって生かすことができないのかの原因は、人生を競争だと過った認識を持っているからではないでしょうか。競争と思い違いをしている人が、士気と傲気を一緒にしてしまうのです。士気と傲気を混同している故、自分本位になり、人の素晴らしさも認められず、和を乱し、結局は人様から敬遠されてしまうこととなるのです。
知識は大事ですが、人間関係の在り方、表面だけでは計ることの出来ない人情の機微(きび)を学ぶことも大事です、それが「心学」です。子育てや、家庭内の躾け、交友の在り方、対人関係、長幼の序、人との距離の保ち方等々を学び、体得せずしては、いくら知識を豊かにしたとしても、社会の場や職場での対人関係を良好に結ぶことは適わないのです。
ちょっとしたことで叱られ、注意を受け、拗(す)ねて仕事を投げ出し、注意されたことを修正しようともしないという人は傲気と士気を混同していると考えてみましょう。
週末です一週間を振り返り、大切な縁を失ったことがありましたら、どのような態度を取ったのかを確かにしてみてはいかがでしょう。確かにするには確かな物差しが必要です、それが「心学という物差し」です。
また時に寺に足を運んでいただき一泊して「一見無駄と思われる作務(さむ)」を通し人生の機微を学んでみてはいかがでしょう、作務は人生の妙薬?ですよ。良い週末をお送りください。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
 私たちは東日本大震災の復興、豪雨災害の復興を祈り応援します。
石蕗が咲きました。タンポポが一輪健気です。紫の花、名前がわかりませんがひかれました。