どう在るべきか

おはようございます。

10月も後半、冬物と夏物の入れ替えを昨日漸く、急に寒くなりましたのであわてて入れ替え、まあ、慌ててもやることがわかっていますからできますが、これが思いがけない事や、想像を絶する事柄であれば茫然自失。
そんな事を考えますと、日々予定がある、やることがあることに感謝です。日常の事柄や毎日やることを漫然と行い怠るようでは、思いがけない事以上の最悪な結果を招きます、それは「信用を失う」それ以上に「怠惰な心を養うこと」です。
善事も悪事も急に結果として現れるのではなく、徐々に大と為すのです「積小為大(せきしょういだい)」は何も善事ばかりを言ったわけではなく、悪事をもいっています。怠ける人は何も怠けることが悪いと思って怠けるわけではなく、怠けているとも考えていないのです。しかし現実とは厳しいものです、因果応報。
この因果応報の道理を畏れなければいけません。因果応報を恐れる人は「利害では人生を考えない人」。いわゆる「どう生きるべきか、人としてどう在るべきかを大切にする人」。道理を自分勝手に解釈せず、「慎んで道理に従う人」です。
怠る人は自分の利害得失の概念で物事を推し量りますから、自分の考えで利にならないと考えたとき無意識に怠るのです。
いくら予定を立てたところで予定通りには運ばないのが人生、しかし「利害得失を超え、どう生きるべきか、どう在るべきか」を確かにしている人は「経験することで生きた知識が身につく」ことを知っていますから、以下のように物事に対します。
「物事を始めてみなければ、自分の未熟さはわからない」「経験を積むことで知識が増え、何事にも詳しくなっていく」と考え行動の中で楽しく学ぶのです。向上することほど人生の楽しみはないのです。
学ばず怠惰な生活を送ってしまう人の多くは「机上の学問、頭の中の知識」であって「観念の遊びをしている」のです。このような人は言葉では大胆なことや、理想を言いますが実は臆病なのです。臆病は悪いことではありません、臆病だからこそ怠らずコツコツと積み上げることを気づくことです。
私は勉強が苦手な少年時代を送りましたので、比叡山に入るまでは非常に臆病で小心者でしたので、それを知られたくないと考え、行動もせず、頭の中での妄想を繰り返していましたからよくわかるのです。臆病、小心を認めてからはコツコツと経験、体験から学ぶ喜び楽しみを知ったのです。
人生において重要なことは、雑多な知識を増やすことではなく、「実体験に根を深くおろすこと」ではないでしょうか。
予定があることに感謝し、予定がなかったならば過去に不出来だったところを学び直すことです。言葉で飾る人間にならないようにしましょう。10月後半、充実した楽しい日々でありますようお祈り致します。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
 私たちは東日本大震災の復興、豪雨災害の復興を祈り応援します。
花梨(かりん)の実が大きくなりました。ススキも真っ直ぐに伸び秋晴れの中爽やかさを感じます。


大阪のKさんがおまいりに来られ誠澄の行をお見送り、ご近所のAさんが随喜をしました。