君子と小人

おはようございます。

庭の木々も随分と色づき毎日変化を見せてくれます。自然は筆舌に尽くせない神秘性があり楽しいですね。紅葉を見て突拍子もないことが頭の中に思い浮かびました。あぁ〜犬や猫もこれから冬支度で毛が抜けかわる時季だなあ〜。そしてこんな言葉を思い出しました。
「君子は豹変(ひょうへん)す。小人は面(つら)を革(あらた)む」。これは「易経(えききょう)」にある言葉。
立場や地位、心根(こころね)の違いを表す意味で「君子」と「小人」ということばが出てきます。ことばのイメージから君子は立派で徳があり、小人は小人物とわかります。
「豹変」とは、豹の体毛が秋になって抜け変わり、一変して鮮明で美しい模様を見せることだというのです。
「君子豹変す」は、今では「態度や考え方が急に一変する」と、あまりいい意味に使われていませんが、本来の意味は正反対で、「君子は過ちがあればすみやかに改め、見事に面目を一新する」という意味。
君子は自分の過ちをみとめ、心を入れかえ姿勢も新たにして、内面も外面もあらためるのに対して、「小人は面(つら)を革(あらた)む」は、小人は「体面だけを改めて大勢にしたがう」ということです。根っこから変わったわけではないが、それでよろしいという易経はいうのです。易経はなんと優しいのでしょう。それは私のような小人を導くためです。
心学には、君子と小人ということばが沢山でてきます。君子とは、一般的には身分が高かったり、ものごとがわかっている人のことをいいます。小人とは、一般的には、ものごとがわかっていない人のことをいいます。また、君子は品位と徳のある人、小人は徳のない人。また行動でいうと、君子は道理に即して考え正しく判断して行動します。小人は時流に流されやすく、迷って、過ちや悪さを犯してしまいます。
君子と小人の違いはなかなか難しいものですが、私は「君子は自分のことは度外視しても、人のため、社会のため、国のため、世界のために考え行動する人」ではないかと考えています。
「小人は自分さえよければいい、つまり私利私欲のために行動する人」ではないかと考えています。
もし、自分が社長という立場で会社倒産の危機に直面したとき、本音では自分と家族だけは守りたいわけです。「でも、それはできない」と思うのが君子の考え方ではないでしょうか。
下で働く人にとっては、上に立つ人には自分のためでなく、会社のため、人のために行動してほしいと思うものです。しかし、君子と小人とではどちらが人間的かといえば、「小人の方です」。
そう考えれば人間は皆、小人です。人は本能的に自分を守ります。本音をいえば、社会よりもなによりも自分が大事なのです。つまり本質的なことを言えば、君子という人物は存在しないのではないでしょうか?。
小人は自分のことだけを考えて生きると書きましたが、そもそも「人間は一人では生きてはいけません」。
皆、「社会と接してなんらかの責任を負っています」。もともとの自分は小人であっても、生活のなかで「親の立場、上司の立場、先輩の立場に立ったときは君子の位になるのが私たちなのです」。
アルバイトやパートの立場であっても、新人の方に仕事を教えてくださいといわれたら、そのときはしっかりと教える姿勢をもたなければいけません。そういう意味での「君子の行動」を心学は教えているのです。
私は「小人である、エゴの塊だ」という自覚から日々出発しています。そうすることで現実の中で積極的に「自分より人様が先が大切」ということが見えてきたのです。
先の噴火や、土砂災害、東日本大震災で沢山の君子の姿を見ました。消防団員の方や、警察、自衛隊、役所にお勤めだった人が我が身忘れ、我を犠牲にして、命を落としたりしながら救命活動をされたのです。だからこそ多くの人に困難を乗り越えよう、乗り越えなければという勇気と明日への希望を与えたのではないでしょうか。
今日も我を少し引っ込めて歩みます。皆さんもこんな在り方をしてみてはいかがでしょうか。きっと社会が広く大きくなります。そして自分の心が豊で自由になるはずです。素晴らしい一日でありますよう。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
 私たちは東日本大震災の復興、豪雨災害の復興を祈り応援します。
昨日雨の中、伊丹のYさんが随喜くださいました。Yさんは毎年随喜くださいます、ありがとうございます。