リーダーの使命は重い

おはようごいざいます。

「にんげん学」小倉講座「老子を読む」ご出席の皆さんありがとうございます。老子は何かしらホットします。不争の徳を感じるからでしょう。競争せず、争わずに自分の確立を図る、使命を確かにして、自分らしく暮らす、楽しいことです。大人の生き方です。
老子を読みますと強迫観念から解き放され、自由になるのがいい。「敵という存在は自分の心の産物」であると老子は言います。
昨夜読みました26章、「どっしり重々しい人に」信頼も人望も集まる」という話。
「重は軽の根(こん)たり。静は躁(そう)の君たり。(中略)
奈何(いかん)ぞ万乗の主にして、身を以て天下より軽しとするや。
軽ければ則ち本を失い、
躁(さわが)しければ則ち君たるを失う。」
心学は「リーダー学」。昨今のリーダーは「リーダーとはかくあるべきだ」という学びをせずにリーダーになってしまったようです、一番は愛情がないのかもしれません。
リーダーの言動一つで国、会社、家の繁栄、又すべてをぶち壊してしまうことがあります。それほどリーダーは重責を担っています。しかし昨今の各界のリーダーを見渡しますとなんと軽いのかと情けない限りです。
「リーダーの根本は、重々しさと冷静さにある。その根本を失い、軽挙妄動に走るようなリーダーは、リーダーとは言えない。」と老子はいいます。
せっかく総理大臣が女性の力を大いに生かそうとして女性閣僚を目玉としたまではよかったのですが、なんとお粗末であったのでしょう。リーダー、大臣という立場、役割を知らなかった、というよりも「政は正」ということの考え方を普段からもっていなかった、政治家が一番に「修己治人(己を修めて人を治めることができる)」を率先しなければいけません。
人生は「どのような危険が待ち受けているかわかりません、細心の注意を払って、用心深く事を進めていくことが重要」です。
ところが問題が起きた当初は「自分は知りません、よく調べます」などと開き直り、バッシングの嵐になってから「頭を下げる」といったお粗末さです。
そんなふうに、周囲の状況を見て、簡単に態度を変えたり、失言を繰り返したりするなど言語道断。リーダーとしての重さ、冷静さがなく、軽々しく、騒々しいのです。使命感を確かにしていない故に、枝葉末節なことに惑わされ、それが使命だと錯覚をしてしまうのです。
そんなリーダーの末路は、火を見るよりも明らかです。みんな、信用を失墜させ、身内や働いてくれている人にも世間にもそっぽを向かれるのです。
リーダーのあるべき姿は、その真逆です。常に冷静に状況を見極め、自分の言動がどういう波紋を呼ぶかを考えなければいけません。それだけリーダーの言動は重い、責任は重い、ということです。
では、リーダーに必要なこの重み、冷静さはどうすれば身につくのでしょうか。それは、日ごろからどっしりと腰を落ち着け、冷静沈着であるよう心学を学び研鑽を重ねることにつきます。
「いざとなったら、できるさ」というのは、ほとんど通用しません。あわてると、人はどうしても「素がでてしまう」のです。その「素が、重みになっていかなくてはいけない」のです。
今夜は「にんげん学」神戸講座「論語を読む」です。素になるように学びましょう。会場でお待ちしております。

世界平和をお祈りいたしましょう。Flower in your mind・ありがとう・心に華を咲かそう。日々の徳目、勤勉・質素・社会と人のために一隅を照らす。  合掌
 私たちは東日本大震災の復興、豪雨災害の復興を祈り応援します。
小倉講座会場に入る前ビルの間から小倉城を。

懇親会会場「お多幸」さん、今回も美味しいお料理ありがとうございます。ごちそうさまでした。

若鶏の水炊きの具材です。

秋刀魚の「床煮」小倉名物です。

エビの天ぷら。

好物のバニラアイス。